2023年12月16日 星期六

[音]なまはげ


詞曲:友川カズキ

「なまはげ」

逃げるように俺から走って行った
あれが俺の本当だと知ってたらな
つかまえて二度とはなさなかったものを
遅いうたには血は通わない
うたをうたえば八郎潟の空に
太郎の恨みの真赤な真赤な
嘘のような月が出た
悔し涙で自分をどかして
人生は何かなどと
贅沢なことを考えているのは誰だ
海鳴りに吠えろ! 吠えろ! なまはげ!

泣げっ面わらしは居ねがぁ
えぐねぇわらしは居ねがぁ
泣げっ面わらしは居ねがぁ
えぐねぇわらしは居ねがぁ


「生剝鬼」

逃竄似從我這裏遠走
那是實在的我嗎不清楚
再度去追捕也無濟於事
遲緩的歌中血怎流得動
能唱的就在八郎潟空中
太郎的恨意如赤紅的
謊言般的月亮昇起
悔恨的淚中將自己抹去
人生中儘想著
鋪張玩意兒的是誰
在海浪中吼吧!吼吧!生剝鬼!

有沒有愛哭的小孩呀
有沒有壞壞的小孩呀
有沒有愛哭的小孩呀
有沒有壞壞的小孩呀

2023年12月10日 星期日

[音]記憶


詞曲:友川カズキ

「記憶」

白い軀になった人達が
風と一緒に空を往き来する
俺はこんにちわこんにちわをし乍ら
三種川べりでキュウリをかじっている
おやおやこれはさなぶり帰りのばあさん達じゃないか
随分と今日はまたやわらかすぎる目をしているんだねえ
どこまで生きさらばえる
夢はどっからどこまでだい
純粋がきいて笑っているよ

重いピストル持った人達が
うたよりどんどん先を歩いてゆく
俺は頑張れ頑張れよと手を振り乍ら
ありったけの優しさを首にくくりつけている
これはこれは何とか党の小利口さん達じゃないか
そりゃあらかじめ準備してきた話じゃないか
どこまで生きさらばえる
夢はどっからどこまでだい
純粋がきいて笑っているよ


「記憶」

化為白色軀體的人們
與風一起空中來來去去
我一邊道著午安您好午安
一邊在三種川旁啃小黃瓜
哎呀這些不就是農活結束的婆婆們嗎
今天也是帶著過分柔嫩的雙眼呢
不管到哪都能衰微地活著
夢啊是從哪開始到哪結束
純樸聽到笑而不語哪

攜著沉重手槍的人們
漸漸搶在了歌曲之前
我啊加油加油喔揮著手
將所有溫柔捆在脖子上
這些不就是哪個哪個黨的小滑頭們嗎
不都是些事先準備好的說詞而已嗎
不管到哪都能衰微地活著
夢啊是從哪開始到哪結束
純樸聽到笑而不語哪

2023年11月16日 星期四

[音]サトル


詞曲:友川カズキ

「サトル」

サトルもし暮れのグランプリ月食べて
花嫁の風をあつめて花を煮る
「7月のへいのらくがきアキコのバカ」
「あああっとレコード止まる啄木忌」
「秋さびしああこりゃこりゃとうたへども」

鯨のそれでも食べたや茄子かやぎ
ナタ漬けの母の背中に雪が降る

浩二死に胸に一羽の鳥を飼う
サトルもしサトルもしもし雪ダルマ
行く春にA子もB子も日本チャチャチャ
年賀状刻一刻の雨の朝
笛吹けど踊らなくていい山桜

画家龍太郎絵を描くことをとばしと言う
さらなるに変幻自在のあざやかさ


「覚」

是覚嗎在日落大賞啃月亮
燉煮著新娘的風聚集的花
「七月的紙筆塗鴨秋子大笨蛋」*
「唉呀呀呀唱片停下的啄木忌」
「寂秋啊竟這樣這樣歌唱不斷」

茄子火鍋鯨魚端上桌
醃蘿蔔母親後背降雪

浩二死時胸膛養了一隻鳥
是覚嗎是覚嗎或許是雪人
晚春某某人還在日本恰恰恰
賀年卡不斷雨紛飛的早晨
恭迎大駕不搭不理的山櫻花

畫家龍太郎作畫不假思索
自然更千變萬化色彩鮮明


*這三句出自高柳重信

2023年11月1日 星期三

[音]どどどーん


詞曲:友川カズキ

「どどどーん」

ど、ど、どーん 音がする
すがるものなき 俺の心の一匹の風の音
とりすがる 俺の心の一匹の風の音
振りむけばどうだ 振りむけばどうだ
振りむけば ふるさとさすらう風は
ふるさとさすらう風は ありやなしや

ど、ど、どーん 音がする
心嚙む 俺の命の一匹の夢の音
はや過ぎた 俺の命の一匹の夢の音
唄わなければどうだ 唄わなければどうだ
唄わなければ 命すする命は
命すする命は ありやなしや

ど、ど、どーん 音がする
ひと知らぬ 俺の心の一匹の俺の音
あきらめた 俺の心の一匹の俺の音
生きなければどうだ 生きなければどうだ
生きなければ ふるさとにむかうわれは
ふるさとにむかうわれは ありやなしや


「鼕鼕鼕」

鼕鼕鼕的聲響
無憑無靠 心內孤一匹風之聲
緊纏不放 心內孤一匹風之聲
回頭望會如何 回頭望會如何
回頭望的話 故鄉漂泊來的風
故鄉漂泊來的風 還會有嗎

鼕鼕鼕的聲響
嚙咬著心 命裡孤一匹夢之聲
未免過早 命裡孤一匹夢之聲
唱不出會如何 唱不出會如何
唱不出的話 啜生嚐命
啜生嚐命 還會有嗎

鼕鼕鼕的聲響
無人知曉 心內孤一匹己之聲
放棄投降 心內孤一匹己之聲
活不下會如何 活不下會如何
活不下的話 面對著故鄉的我
面對著故鄉的我 還會有嗎

2023年10月16日 星期一

[音]平手造酒のテーマ


詞:石上ゆかり 曲:友川カズキ

「平手造酒のテーマ」

百年に一度 咲く花がある
実をつけるには 又 百年かかる
ウソの花ざんざら 男ゆき女ゆく
百年の花 喰いつくせ
紅さして街ゆけ 紅さして街ゆけ

千年に一度 飛ぶ鳥がある
地にもぐるには 又 千年かかる
風の花ざんざら 男ゆき女ゆく
千年の鳥 呪われしものよ
紅さして街ゆけ 紅さして街ゆけ

万象に一遇 あう船がある
通り過ぎれば 又 森羅万象
残の花ざんざら 男ゆき女ゆく
京太郎 船が出るぞ
紅さして街ゆけ 紅さして街ゆけ


「平手造酒」

百年開一次的花
需另百年來結果
偽花熙攘 男來女去
百年之花 吞噬殆盡
朝嫣紅的街道 朝嫣紅的街道

千年飛一次的鳥
另千年潛伏地面
風裡花熙攘 男來女去
千年之鳥 已被詛咒
朝嫣紅的街道 朝嫣紅的街道

萬象裡一遇的船
錯過又見萬象森羅
殘花熙攘 男來女去
京太郎 船要開囉
朝嫣紅的街道 朝嫣紅的街道

2023年10月13日 星期五

[音]口から木綿


詞曲:友川カズキ

「口から木綿」

口から木綿 口から木綿
鼻から軽石 鼻から軽石
天から電報 天から電報
赤からちゃんからバラ
赤からちゃんからバラ

骨から強姦 骨から強姦
国家から注射 国家から注射
さいならから因習 さいならから因習
赤からちゃんからバラ
赤からちゃんからバラ

生まれた時やわらかくて
死んでゆく時かたくなる
「ゆりかごから墓場まで」つんのめるように
大きく笑って泣いて激しく怒って叫んで
赤からちゃんからバラ
赤からちゃんからバラ


「口吐木棉絲」*

口吐木棉絲 口吐木棉絲
鼻噴火山岩 鼻噴火山岩
電報從天降 電報從天降
赤紅的粗俗玫瑰
赤紅的粗俗玫瑰

從骨頭強姦 從骨頭強姦
往國家注射 往國家注射
永別了陋習 永別了陋習
赤紅的粗俗玫瑰
赤紅的粗俗玫瑰

出生時軟綿綿
死去時硬梆梆
「從搖籃到墳墓」往前摔一跤*
大聲地笑著泣著激烈地怒著叫著
赤紅的粗俗玫瑰
赤紅的粗俗玫瑰


*友川小時候會做吐絲線的夢,但不知為何是木棉
*二戰後英國推行的失敗福利政策

2023年10月4日 星期三

[音]点


詞曲:友川カズキ

「点」

グゥーの音も出ない真っ昼間だ
番茶をすすって突き抜けると
点だと思ってたその場所が
またもや暗い穴の中
死にたい位せつなくて
喉に力を入れたんだが
声にはならずにスゥースゥーと
風の吹くよな息ばかり

魂がぼわぁと揺れている
青刈りの田園に揺れている
流れの止った三種の川に
腐乱の兎が浮いている
いつか見た夢 天意のように
震天動地をいざなって
「死せよ」とひとこと記憶され
刻々と有無なく葬られる


「點」

日正當中吞嚥緊張
啜著番茶貫通的是
一個點吧我想結果
一個黑暗洞穴又來
想去死一死的痛苦
源源注入搡進咽喉
發不成聲咻咻亂叫
僅剩風吹般的氣息

魂魄驟然舞在
割青過的田地
靜止的三種川
浮起腐爛兔屍
過往的夢是註定
誘發出驚天動地
去死吧」的回憶
不由分說時時掩來

2023年10月3日 星期二

[音]おどの独白


詞曲:友川カズキ

「おどの独白」

みのる!
お母っちゃの言うごどちゃんと聞げよ
牛のかいばそらおめぇの役目だがら忘れなや
んでほらあい子はまだ子供だはで
泣がせなや

あい子!
マッチ危ねがらちょしなよ
お母っちゃさ茶碗コ洗うの手伝ってやればえし
仏様さも毎日水あげるよにな
これがら寒ぐなるはで沢山着て
学校休まねで行げよ
先生にがてしかられるんだごどへばやざねど

みやげぁ 何にゃええ
まだバナナええが
ん-んだがんだが沢山買って来るがらな
なあに雪とげで
田やる頃までの辛抱だって
へばな
お父っちゃ 行って来るがらな


「男人的獨白」

實啊
要好好的聽媽媽的話
牛飼料是你的職責別忘記
還有愛子還只是孩子
別讓她哭啊

愛子
火柴危險別把玩
媽媽洗碗盤時要多幫忙
每天記得給佛像供水阿
之後會變冷多穿點
學校記得要去喔
一直惹老師生氣可不行

土產該買什麼
又是香蕉好嗎
嗯會買很多很多回來
所以直至雪融
可下田之際需耐心等待
就這樣啦
爸爸 會快去快回的

2023年9月19日 星期二

[音]飛ぶための空


詞曲:友川カズキ

「飛ぶための空」

飛ぶための空がある
邪心の中にも草花はある
のたくる根っこに水っ気はある
飛ぶための空がある

明るさも過ぎりゃ何も見えん
見ざる聞かざる言わざるの真逆をする
スッポンポンで現れスッポンポンで去る
飛ぶための空がある

杏の花に囲まれていた
黄泉とも見まごう極楽のサマ
いい気な感じそうそうこの感じ
飛ぶための空がある

「正義で国は滅びる」と誰か言った
「人類は進歩していない変化しているだけだ」
と誰か言った
ちょこまことした雑念に凡そはかすめとられる
飛ぶための空がある


「為了飛的天」

天空就是為了飛
心存惡意的花草
蠕動的根濕轆轆
天空就是為了飛

太過閃耀啥都看不見
與不見不聞不言背馳
赤裸裸現出赤裸裸逝去
天空就是為了飛

被杏花層層包圍
錯認黃泉的極樂狀態
就是這樣呦自以為是
天空就是為了飛

「固守正義國家會滅亡」誰如是說
「人類的種種變化從來不曾進步」
又是誰如此說過
眾多細微雜念攫走原本概貌
天空就是為了飛

2023年9月14日 星期四

[音]ユメの番人


詞曲:友川カズキ

「ユメの番人」

足元にあるはるかな空を
喰い散らかしているあれは兄達
私がかつてぼうぼうとした眼で
訪ねて行った時
誇らしげに揺れてた花々だ

革命についての確信めいたことを
手品のように語ってくれたあれは兄達
まるでそれは夜という夜が
亡者の淋しさをひそませ
踊り狂っているようであった

大きな善にある大きなウソを
思いそらそうとしたのか あれは兄達
命運はまたその血の味を
なめ尽くして終わるように
兄達と私はもう会うこともない

花の時代にかくされていた
兄達の目じりのいさぎよさ
失念は雨の記憶の黒い穴
もう走らなくてもいいだろう
四尺五寸の筋肉は

落絶のししむら種火があるか
女人のような鬼神のような使者よ
しみったれた手じゃ何ともはや
矜恃を語るは愚鈍の極みさ
国家とは一体誰なんだ

亡くなった土方さんブランコに座ってる
チョチョ切れた情緒は溜息でとかした
喪失突破代金4670円
ヒッチコックヒッチコックを注文した
ユメの番人爪先までもがまっ黄黄


「夢的看守者」

將腳邊的遙遠天空
胡亂吃的到處是的哥哥們
我曾睜著茫然的眼
前去拜訪之際
是自詡搖擺的花朵們

關於革命能確信的事物
戲法般陳訴著的哥哥們
就像在闇黑深夜
藏起亡魂的寂寥
使其癲狂舞著跳著

巨大善意裡有巨大謊言
會顛倒過來想嗎哥哥說
命運再度將那血味
從頭至尾舔乾舐淨
哥哥們與我沒再見過面

花的時代裡被掩蓋的
哥哥們的潔淨眼角
遺忘是雨中記憶的暗穴
已不需再四處奔走了吧
這四尺五寸的筋肉

沮喪絕望的肉體尚有火苗嗎
女人般的鬼神般的使者唷
吝於援手已讓人無言
還說要自豪實在愚蠢至極
所謂國家到底是哪位

過世的土方先生坐在鞦韆上
含淚的情緒隨著嘆息消逝
賭金加碼輸光4670円
希區考克希區考克上菜囉
夢的看守者直至指尖全身黃澄澄

2023年8月19日 星期六

[音]春は殺人


詞曲:友川カズキ

「春は殺人」

春の夜は 春は夜は
寝ぼけまなこのライオンのように
アゴを突き出し 手当たりしだい
頭と言わずに 腹と言わずに
春の夜は 春は夜は 春は殺人

60ワットの電球も
朝にはいたずらずきになる
あの人の敵意を窓の外に
鮮やかなピンクに染めて見せるよ
春の夜は 春は夜は 春は殺人

春の夜は 春は夜は
森の民も浮かれ出て
カッパのえにしを語りつぎ
水に体を開いてゆく
春の夜は 春は夜は 春は殺人


「春天殺人」

春天的夜 春即是夜
醒來恍惚 眼球如獅
下顎前伸 雙手亂抓
腦袋也罷 肚腹也罷
春天的夜 春即是夜 春天殺人

六十瓦的電燈泡
早晨喜歡惡作劇
將窗外那人的敵意
染成鮮活的粉紅色
春天的夜 春即是夜 春天殺人

春天的夜 春即是夜
森林住民 探頭出遊
河童情緣 世代相傳
如魚得水 破體而出
春天的夜 春即是夜 春天殺人

2023年8月14日 星期一

[音]春はきた


詞曲:友川カズキ

「春はきた」

春はきた春はきた
オレの肉と1mmも違わぬ所に
あんなに小さい頃から楽しみにしていた
明るい春はきた このままでは嫌だから
早く走り出そうと思っているけど
力がないせいか何ひとつ変わっていない
行きつけの川崎のスナックの
茨城生まれのケイコさんの
ケイコさんの化粧は変った
ケイコさんは今おそら

春はきた春はきた
恐ろしい位のどかでスマートな
床屋の匂いをプンプンさせて
明るい春はきた オレは背筋をのばして
ひどくむずかしい人になろうと思ったが
ユーモアをつまらなくさせて終わったみたいだ
アパートの近くのトウフ屋の
高校三年になった純子さんの
純子さんの歩き方は急に変った
純子さんは今お空

春はきた 春はきた


「春天來了」

春天來了春天來了
離俺的肉恰一公釐之處
期待如此緊鄰之時
明亮春天來了 討厭持續這樣
快點奔將過來吧
但力不從心改變不了
常去的川崎的小酒館
茨城出生的景子小姐
景子小姐化妝變改
景子小姐現在天上

春天來了春天來了
悠閒時髦令人驚懼
純理髮的香味直衝天
明亮春天來了 俺伸直背肌
來當個極度挑剔的討厭鬼吧
來試試添加無趣完結幽默吧
公寓附近的豆腐店
已經高三的純子小姐
純子小姐走路方式突然改變
純子小姐現在天上

春天來了 春天來了


2023年7月11日 星期二

[音]寂滅


詞曲:友川カズキ

「寂滅」
 
膝頭を砕いて仕える
兄の無念を何に晴らそう
退屈な事実の百に
いいことひとつあればいい方なのだ
ふわりと子供を背負って走ろうか
果てというの本当にあるなら
青い脳味噌の中を
寂滅のうたが流れる

ざらついた背骨を
舌と涙で清める夜
遊びという社会も
そうだったんだという空想も
自殺した学生の下着のように
そのうちそれさえどうでもよくなる
目先の錯乱の中を
寂滅のうたが流れる

けなされると単純に頭にくるが
ほめられると複雑に嬉しい
まとわりつけた鋭角な未来も
いつしかよくある昨日になってゆく
汚れた二十八年の過去を
今すぐ叩き潰してやろうか
ああ創らず動かず語らず
寂滅のうたが流れる


「寂滅」

膝蓋跪碎來侍奉
一掃哥哥的懊悔吧
千百種欲振乏力的事實
就不能有一件好事嗎
輕飄飄地背着小孩跑嗎
這樣就真能有個結果嗎
青色的腦汁裡
流著寂滅之歌

粗糙不平的脊椎
用舌與淚清理的夜晚
嬉鬧遊玩的社會
您說的是的空想
就像自殺學生的內衣
不久將來都無所謂了
眼前的錯亂中
流著寂滅之歌

貶抑會起單純憤怒
褒獎會生複雜喜悅
死纏著的銳角未來
遲早會是常見過去
過去髒污的二十八年
能否立馬痛擊敲碎
啊啊不創造不動作不言語
流著寂滅之歌

2023年7月10日 星期一

[音]電話


詞曲:友川カズキ

「電話」

ああ もしもし
さいどうだども おお おめが
そのごどうした わあそえなげだめだ
んだって だめだべしゃ
おれもよぐ わがらねどもや
んんん その方がええびょん
まずおめもじゅうぶん かんがえだべし
おれもなもとやかぐ いえるがらでねしな
んだどもあっちのいいぶんを ちゃんときげや
よしわがった わがった
もしまだなにがあったら でんわでもけれでや
あっはっはっは おお ええわげえもんだな
ばかやろ なにいってらた
んん まずまず じゃまだな


「電話」

喂喂 你是誰
我是齊藤 喔喔 是你啊
從那之後有怎樣 你最好有去做
所以沒甚麼閃失嗎
我自己也不太清楚
好好 這樣也算不錯
不過 你只顧著你自己
反正 我是沒什麼立場說啦
但是 你還是得聽進去好好想一下
好啦 我知道我知道了
有什麼變化的話記得打給我
啊哈哈哈哈 喔你這少年仔不錯
白癡喔 你在說什麼
好好 就這樣就這樣 再見啦

2023年7月4日 星期二

[音]おとうと


詞曲:友川カズキ

「おとうと」

泣き虫のゴンドラに乘って
夢は貝がらの音などしない
不思議だよなあおき朝は
友達は魚のように遊ぶ

あの夏のあの人の目
面はゆくもなつかしいな
来るものも去るものも
あるものも死ぬ

空々はきゅうくつだ
呼び交わす名前すら持たない
色彩の恨みを知らない
死ぬことのはなやかさを語らない

青々く木々は宙に
やわらかな喉笛を競う
それを見そめる者だけがいない
トンビは秋の穴を舞う


「弟」

搭上愛哭鬼之船
連貝殼回音都沒有的夢
不可思議的蒼藍早晨
朋友們如魚兒在遊玩

那年夏天那人的眼
縱羞赧卻懷想遙念
事物來的來去的去
有的那些全都死去

天空是處處受限
連互叫名字都辦不到
色彩能多怨恨不清楚
死能有多華麗說不準

蒼木森然在空中
柔軟咽喉互比劃
已不是初次看見
黑鳶圓舞著秋穴

2023年7月1日 星期六

[文]競輪上人行状記


原文連結

バカ者どもが。
いったいどういう積りで大事な金をドブに捨てるんだ。
いまお前らの失くした金があれば、かあちゃんに新しいパンティ買ってやれるんだぞ。
子供にバットもミットもグローブも買ってやれるんだ。
ろくに調べもしないで大事な金を、つまらんサイコロの目に賭けて失くすバカがあるか!
一日汗水たらして働いて、やっとこ500円取れるか取れないお前達が、どきどき震えながら1000(円)だ2000(円)だと車券を買って、それで儲かると思ってんのか! はい、ありがとう。

各位笨蛋們
到底為什麼會將積攢的重要金錢
丟進水溝裡阿
現在 若能將失去的金錢復得
就能給媽媽買新內褲呦
給孩子買球棒與捕手手套與野球手套呦
沒有適當地檢查 才會將重要金錢
賭輸在那無聊的骰子點數上竟有這種笨蛋
一整天汗流浹背工作 好不容易賺到的有五百円嗎你們
時常顫抖著掏出一千円兩千円買競輪劵 這副模樣能賺錢嗎
是 謝謝你的惠顧

お前達何も悪い事してるんじゃないんだぞ!
いいか、高い税金取られたうえにまだ足りなくて、100円券1枚について25円も役場に寄付している、道路作らせたり学校建てさせたりしている功労者じゃないか。
もっと大きな面をしろ!
胸を張って威張るんだ!
そうすりゃ心も落ち着いて目も見えてくるから損をしない。
お前たち素人には、なにものにも捉われず心を空しゅうして予想を立てるということは難しいよな。
だから、お前たちの代わりに俺の立てた予想どおりに買ってこい。
1000や2000は必ず儲けさせてやる。
はい、ありがとう。

你們可不是在做什麼壞事哪
聽好了 不只被抽取高額的稅金 一百円劵一張可是會捐給公所
二十五円 用作道路的修建與學校的建設的有功者就是你啊
把頭抬得更高點
胸膛挺起自豪點
如此這般心自會冷靜了然於胸無損失
你們這些初學者 淪為空思妄想怎麼猜怎麼不中
所以 由我來替你們猜 來買我的猜測劵
一千也好兩千也好一定會賺的
是 謝謝你的惠顧

いいか、余計なものを買うなよ。俺のいうとおり一本で買え。
本当に救われようと思ったら、あれこれ構わず迷わず念仏一筋に生きろ。
俺たちの宗祖さま法然さんも選択本願集のなかでいっておられる。
あらゆる雑行を捨てて、念仏という正行一本に生きるんだ。
どうせおれたちは、煩悩というものが体の中にこびりついている。
断ち切ろうと思っても断ち切れるものじゃない。
だから、きたない体のまま、よごれた体のまま阿弥陀さまにおすがりしろ。
おれも、このおれも坊主の身でありながら、お前たちと同じようにギャンブルの世界に飛び込んできた。
そのおれがお前たちに教えるものはこれだ。

聽好了 不用多買 如我說的買一張就好
真想獲救的話 得不顧一切斬斷迷惑一心一意念佛
我們的祖師爺法然上人在選擇本願集已揭示過
捨棄所有的雜行 讚嘆致力於念佛
為什麼煩惱總是黏附在身體裡
越是想割除越無法斷絕
那麼 將這髒污穢俗的身體仰賴在阿彌陀佛上吧
我也以我這和尚的身軀 與你們同行
躍進這賭博的世界
那這樣的我就能傳授於你們

いいか。車券は外れることを怖がっちゃいけない!
取れる時は一本で取れ!
わかったか、あれこれ迷うな!
…救われることを望んじゃいけない!
救いというのは一度きりしかないんだ!

聽好了 別怕把競輪券賭輸掉
獲勝時就會一次全部贏回來 懂嗎!!
千萬別迷惘
膽顫心驚地想著獲救的事
獲救這回事 只能有一次



2023年6月23日 星期五

[音]木端微塵


詞曲:友川カズキ

「木端微塵」

水面に光る魚の背中
空はどこまでもただただ高く
僕の愚痴など届きそうにない
鼻唄でも唄ってやるよ
索漠を追いやるよ
ああ一陽来復
木端微塵さ
挨拶だけの仕事なんか
木端微塵さ

楽しい人なら誰でも好きさ
あったかい人なら誰でも好きさ
無邪気で一途なら信用できそうだよ
福は内 鬼は外
晒してしまえない自分なんか
ああ見たくもないさ
木端微塵さ
死ぬ為に生きる言葉と一緒に
木端微塵さ


「木屑微塵」

水面上發著光的魚背
天空到哪都是高高高
依我的愚痴甭想到達
只能哼就來哼唱吧
追逐荒漠寂寥吧
阿阿一陽來復
這木屑微塵
那只顧寒暄的工作
這木屑微塵

快樂的話誰都會喜歡
貼心的話誰都會喜歡
一昧天真似也能得信用
內在為福 外在為鬼
自己永無休止的暴露
阿阿實在不想看
這木屑微塵
為了死而活著的言語也一起
這木屑微塵

2023年6月18日 星期日

[音]俺のふるさとは犬の中にもある


詞曲:友川カズキ

「俺のふるさとは犬の中にもある」

俺のふるさとはふるふるらんらんだよ
キャンキャンと犬みたいに喚き散らしてさ
ああ ああ 尾っぽからもげたよ
ないているのか笑っているのかはっきりしない
俺のふるさとは犬の中にもあるよ

ふるさとを持ちあげていたのはさ
観光地図ではなかったさ
ああ ああ 無口な農民達さ
ないているのか笑っているのかはっきりしない
俺のふるさとは犬の中にもあるよ

踊り乍ら自分の腰付き気にする人は
たいした悪党にゃ絶対なれないよ
ああ ああ 町長さんは笑わなきゃ
人気がおちるよ人気がおちるよサァー頑張れ
俺のふるさとは犬の中にもあるよ

一生なんて米粒を数えてるうちに終るさ
肉親の心配ももうここまで届かない
ああ ああ 演劇集団よりも
たのしくうたを演劇してみたいな
俺のふるさとは犬の中にもあるよ


「我的故鄉狗裡面也有」

我的故鄉搖啊搖搖不停
狗一樣旁若無人汪汪叫
啊啊 啊啊 從尾巴脫落
是在哭嗎是在笑嗎搞不清
我的故鄉狗裡面也有

將故鄉雙手捧起
可不是觀光地圖
啊啊 啊啊 沉默的農民們
是在哭嗎是在笑嗎搞不清
我的故鄉狗裡面也有

邊跳舞邊在意姿態的
可不要變成極惡集團
啊啊 啊啊 町長不笑不行
人氣滑落人氣滑落好好加油
我的故鄉狗裡面也有

終其一生數著米粒到完結
連爹娘的擔心都無法送達
啊啊 啊啊 比起演劇集團
更想假裝唱著快樂的歌
我的故鄉狗裡面也有

2023年6月15日 星期四

[音]八竜町の少年達


詞曲:友川カズキ

「八竜町の少年達」

日本海の風の中を
雲のように流れて行ったよ
八竜町のあの少年達は
どこへ大きくなって行ったのだろうか
俺のようにただただお喋りになって
ピョンピョンはねる大人になって
ボタンを押せば笑う笑い袋
笑い袋になってしまったのか

夢を遠く追っていくと
続きの村がある
意志すら包み売る商店街の
通りを北から風が
なくように一束過ぎた
喋ること、書くこと、歌うこと
を放棄したうずくまる若い鳥たちに
武裝したライフルマンの一群が
さらに一歩射程距離を縮めた
のーんと立って居た
美しかったはずの俺の心象風景が
泥をかぶったまま膝を畳んで
深い眠りに入ってしまった
そしてまた
続きの村

長い冬をひとつ生きて
ちいさな笑いをひとつもらってきたよ
八竜町のあの少年達は
どんな生活をうたっているのだろうか
俺のようにただただわがままになって
ゼィーゼィー息を吸ったり吐いたり
拳を弱く振り上げては
下ろすところをさがしているだけなのか


「八竜町的少年們」

日本海的風中
如雲般流去
八竜町的少年們
是要去哪長大嗎
像我這樣一直喋喋不休
蹦蹦跳跳的大人
一按鈕就笑的哈哈笑袋
已經變成哈哈笑袋了嗎

從遠處追趕著的夢
有著不見盡頭的村莊
連意志都包好販賣的商店街
街道起著北風
悲鳴成束經過
嚼舌的事書寫的事歌唱的事
全面放棄蹲踞著的少年鳥們
一群武裝來福槍的獵人
已將射程縮成一步之遙
矗立在眼前
我的心象風景應算是美麗
卻雙膝折起覆滿爛泥似的
進入深沉的睡眠
接著又是
不見盡頭的村莊

漫長冬日一人渡過
送來一個微微一笑
八竜町的少年們
是在歌頌何種生活
像我這樣一直放肆亂為
吁吁呼呼吸氣吐氣
揮舞著乏力的拳頭
顧著尋找放下之處嗎

2023年6月4日 星期日

[音]公共主自由民保党


詞曲:友川カズキ

「公共主自由民保党」

幸せをカタチで見てみたくて
家や車になっちまった
金持ちはより金持ちに
貧乏人はより貧乏人
わが日本の誇れる政党は
公共主自由民保党

島国農耕民族の
魂の根幹を成すものは
とりあえず長いものには
巻かれろ精神である
わが日本の誇れる政党は
公共主自由民保党

寝てもさめても
私は熱心な党員である
だからこそ明日からも
たぶん元気で生きられる
わが日本の誇れる政党は
公共主自由民保党


「公共主自由民保黨」

想見識幸福的形狀
變成家與車的模樣看看
有錢的更有錢
貧困的更貧困
我乃自豪的日本政黨
公共主自由民保黨

島國農耕民族
魂的根本所在
人在屋簷下姑且就
低低頭的精神
我乃自豪的日本政黨
公共主自由民保黨

不論醒著還是睡覺
我都是熱心的黨員
所以明天也是
應該會健康地活著
我乃自豪的日本政黨
公共主自由民保黨

2023年5月14日 星期日

[音]春


詞曲:友川カズキ

「春」

唄に問われて ひるがえってゆく
浅はかな過ちの春ではあった

いとも簡単に諸手をあげて
押し寄せる血の主張を許したのではあった

風は夜吹け くびれて吹け
山懷に抱かれて子らは眠ったぞ

天命待つとも 急がれてある
浅はかな過ちの春ではあった

天命待つとも 急がれてある
浅はかな過ちの春ではあった


「春天」

被歌叩問 迎面翻轉
淺薄過失的春天

實在簡單雙手高舉
爆血的主張已獲准

風在夜晚 細細吹拂
群山懷抱孩子們已入睡

等待天命 心懐著急
淺薄過失的春天

等待天命 心懐著急
淺薄過失的春天

2023年5月6日 星期六

[音]耳のある風景


詞曲:友川カズキ

「耳のある風景」

四角い建物がある
四角い窓がある
ひょいと身をのりだしてみると
沢山の男たちが
朝顔のつたのように
壁に並んで咲いていた
こんにちは こんにちは
空色の耳だけが ヒュルヒュルン 伸びて
伸びすぎて 千切れてポロリと落ちた

青い風がある
馬のにおいがある
それらに いつまでも
眼玉を ひそめていると
遠くてあいまいだったものが
にわかに 色を帶びる
確かだな 確かだな
胸の肉だけが あざやかなって
あざやかに膨らんで ドロリと とけた


「耳中的風景」

四角的建築物
四角的窗戶
偶然間試著將身子探出
成群的男子
牽牛花的爬藤般
在牆上並排開著
早安 早安
就張著天藍色的耳朵 咻咻地伸展
伸展過頭 碎成千段啪嗒落下

藍色的風
馬的氣味
那些總是
藏在眼球的與
既遙遠又曖昧的
突然間 帶上了顏色
確實有哪 確實有哪
就在這胸口的肉 新鮮活跳
活跳跳地膨脹 黏糊糊地融化

2023年4月15日 星期六

[音]セメント


詞曲:友川カズキ
譯:鱸魚

「セメント」
 
今日はセメントを150袋運んだ肩がは
ずれるほどに痛かったけれど8000円
が欲しかったからガマンしたがいかんせ
んセメント何はともあれセメントどうし
てどうしていやはやセメントいまいまし
くもセメントバカくさくてバカがくさく
てあんまりくさくて8000円浮きぼり
になっちゃって8000円の肉体がどう
にもあほらしくてあんまりあほらしくて
あほもくさくてあんまりくさくてセメン
ト貰ったが8000円ペラペラの重みで
8000円8000円のセメント?セメ
ント的なセメント?帰り際駅のホームで
これから乗客になるべく人達を見たらど
の人も皆セメントを1袋ずつ担いでいた
はははっはセメントちゃん肉体ちゃんあ
あ何だどうしたどうしたこうしたそこで
何もかも8000円全部呑んでしまった


「水泥」

今天我扛了150袋水泥肩膀像脫臼了一
樣地疼痛但太想要8000元就忍了下來
畢竟這是水泥總之這是水泥為什麼為什麼
唉呀可恨的水泥太蠢了太蠢了實在太蠢了
8000元浮現出來8000元的肉體實
在太沒有意義了有夠沒有意義蠢貨也很臭
有夠臭的扛了水泥但那輕飄飄的8000
元8000元8000元的水泥?水泥性
的水泥?回去時在車站月台看到接下來將
成為乘客的人們每個人都扛了1袋水泥哈
哈哈哈小水泥小肉體阿阿什麼怎麼了怎麼
了這樣然後一切8000元我全都給吞下

2023年4月14日 星期五

[音]原っぱの唄


詞曲:友川カズキ
譯:西野里佳、しゅんじん

「原っぱの唄」

おーいあんちゃん 仕事行かないかい
いい仕事ありますか小田切さん
今日も原っぱは酒臭い 
今日も原っぱは酒臭い

焚き火を囲んでいる仕事にあふれた人は
今夜は青寒覚悟の上だろ
骨まで燃やしてしまわないように
骨まで燃やしてしまわぬように

どうして急に賃金下がってきたんですか
日雇いの足元を見てるんですか
小田切さんは手配師
陽気で酒好き手配師

おーいあんちゃん 何かいいことないかい
あるわけないだろ 探す気ないもの
今日も原っぱはひとだまり
正直者でひとだまり

肥料運びの後のワンパックごちそうさま
疲れが取れたってよ小田切さん
今日も原っぱは酒臭い 
今日も原っぱは酒臭い


「空地之歌」

喂小哥 不去工作啊
有沒有好工作呢小田切先生
今天空地照樣酒氣沖天
今天空地照樣酒氣沖天

圍著篝火工作泡湯的人
今晚有露宿寒天的準備
沒烤到骨頭可不會停
沒烤到骨頭可不會停

為什麼突然減了工資
是想敲零工的竹槓嗎
小田切先生是包工頭
開朗愛喝酒的包工頭

喂小哥 有沒有好工作了
怎麼可能有 根本不想找
今天照樣聚集在空地
老實人們聚集在空地

搬完肥料後再招待一包
累到不行了啦小田切先生
今天空地照樣酒氣沖天
今天空地照樣酒氣沖天

2023年4月6日 星期四

[音]人生劇場裏通り


詞曲:友川かずき
譯:鱸魚

「人生劇場裏通り」

電車の窓から安らぎを ホレ
求める顔がのぞいてる
スッタカコラサット カバンかかえ ホレ
家路を急ぐ人の群れ

外はすでに夜の街 ホラ
飲み屋のネオンが赤々と
いらっしゃい いらっしゃいと
ゆらゆれて ホラ
ここには憩いがありますと
人生良いとこ ふたたびおいで
あかりをつけましょ 夫婦灯

ふところ具合いの店探し ホレ
いきがりノレンをかきわける
天下取ったような顔をして ホレ
一晩だけの殿様ちゃん

会社で上司の目を盗み ホラ
外では妻の目を盗み
家では子供の目を盗み ホラ
心はとっくに土の下
人生良いとこ ふたたびおいで
あかりをつけましょ 夫婦灯

何だかんだと グチっても ホレ
はじまるものでもあるまいに
ここはひとつ おだやかに ホレ
人生劇場裏通り


「暗巷人生劇場」

從電車車窗外向內窺視的
瞧阿 那些謀求安寧的臉龐
攜著包包行路匆匆的
瞧阿 那些趕著回家的人群

外頭夜色已降臨街路 看阿
飲酒店的霓虹紅爍爍地
吆喝著歡迎光臨 歡迎光臨
晃動搖曳 看阿 這裡得以休息
再次來到人生的好地方
並且點上燈吧
夫婦燈

找尋手上的錢付得起的店
瞧阿 氣勢洶洶地撥開暖簾
擺出一副稱霸天下的臉
瞧阿 這只此一夜的小暴君

在公司盜取上司的眼睛
看阿 在外就盜取妻子的眼睛
在家就盜取孩子的眼睛
看阿 心早已在泥土之下
再次來到人生的好地方
並且點上燈吧
夫婦燈

這樣那樣的 愚痴也好 瞧阿
這也不是什麼起頭
這裡是一個 安穩的
瞧阿 暗巷人生劇場

2023年4月4日 星期二

[音]朝



詞曲:友川かずき
譯:鱸魚

「朝」

人にしばりつけられる前に
僕もみんなも
自分を何かにしばりつける方が
自由なのさ
それが長く待っていた朝なのさ

オリに入れられているクマが可哀相だな
ムチで打たれているウシが可哀相だな
オリやムチを作る人 可哀相だな

朝はまだこないかと 時々先生にきく
来るはずがないよ
それは君が死ぬと さわやかに
黄色い君の机に朝は来る

青春て何だいと人にきかれたら
素直にね
夢を追いかけ 自分をなくし
傷つき トボトボ帰った千鳥足

何をどういうふうにやったら いいものか
あちこちと
僕はみつけられないまま うろたえる
誰も知らない それが朝なのに


「清晨」

在被他人束縛以前
於我或其他眾人而言
被什麼東西所束縛著
才是自由的
這正是我們長久期待著的清晨

被囚於獸籠的熊是可憐的
被鞭子笞打的牛是可憐的
製作獸籠和鞭子的人 是可憐的

有時我會詢問老師 清晨還沒到來嗎
「你若死了 就不可能來囉」
清晨爽朗地降臨在你的黃色桌几

要是有人問我什麼是青春
那就是率真地追逐夢想
迷失自我並且受傷
回家時我踩著踉蹌的醉酒步伐

該怎麼做才好
周圍沒人看見我驚慌的步伐
誰都不曉得
明明這才是清晨

2023年4月1日 星期六

[音]上京の状況


詞曲:友川かずき
譯:鱸魚

「上京の状況」

山手線に乗ったのは 何年ぶりのことでしょうか
秋田の田舎へ しばらく行ってたからね
心がこんなにも しゃがんでしまうよ
上野の駅は変ったが 人はザワザワ 相変らず

吊皮には大きな夢が いっぱいさがってる
ポケットには不安が いっぱいつまってる
今日から4・5日は 君のところに居候
ひとまず阿佐ヶ谷へ ひとまず阿佐ヶ谷へ
ひとまず阿佐ヶ谷へ ひとまず阿佐ヶ谷へ

東京の悲しさは いたる所に落ちている
わけもなく年をとり おちぶれおちて行っても
死んでも死んでも こんなとこでは死にたくない
上野の駅は変ったが 人はザワザワ 相変らず

大声で唄っても 思うことの半分も
吐き出せりゃ いい方だ
吐き出せりゃ いい方だ
僕の東京を 僕は唄に表わそう
ひとまず阿佐ヶ谷へ ひとまず阿佐ヶ谷へ
ひとまず阿佐ヶ谷へ ひとまず阿佐ヶ谷へ
ここが東京だなあ……"


「赴東京的情況」

幾年沒搭山手線了呢?
畢竟去了一陣子秋田鄉下
內心都蜷縮了起來唷
上野車站變了 但人們還是一樣吵雜

電車拉環下吊掛著許多大大的夢想
口袋裡積攢著滿滿的不安
從今天開始的4、5天 我將住在你那裡
總之先去阿佐谷 總之先去阿佐谷
總之先去阿佐谷 總之先去阿佐谷

東京的悲傷 落在所到的每個地方
毫無意義的變老 即便落魄走下坡
即便要死 我也不想死在這種地方
上野車站變了 但人們還是一樣吵雜

要是大聲唱歌 我所想的那些有一半
能夠吐露出來的話就太好了
能夠吐露出來的話就太好了
我的東京 我要用歌曲來表現
總之先去阿佐谷 總之先去阿佐谷
總之先去阿佐谷 總之先去阿佐谷
這裡是東京哪…

2023年3月8日 星期三

[音]光るクレヨン


詩曲:友川カズキ

「光るクレヨン」

空を模した六角形の噴水
炎天のマドンナ橋本マキ子
濁色の殘像もつれづれに
夜のベンチを出立する
公園は野生の哀しみに満ちた
光るクレヨン

ヴラマンクの彼方へ母は逝った
雑多な寂寥哀しくはない
畑には鶏頭の花が咲き
飛び立たん飛び立たんトサカ振る
今だぜよ背を叩く声だにする
だったら光れクレヨン

極立つほむら倒れし魂
抱きすくめあやせん傷ましい魂
異界はまなこ焼く釜なるぞ
青の空空の青寒き指
変節の道行きだ今の今こそ
光れクレヨン


「發亮蠟筆」

仿造天空的六角噴水池
烈日下的聖母橋本真紀子
濁色殘像也百無聊賴
於深夜長凳動身上路
公園裡野生哀痛遍野
發亮蠟筆

母親已去弗拉芒克的世界
各式寂寥不帶哀痛
田地裡雞冠花盛開
撲楞撲楞雞冠翱翔
就是現在叩擊後背的聲響
來發亮吧蠟筆

絕頂火燄靈魂頹倒
緊抱哄逗靈魂苦痛
異界是烤眼珠的釜鍋
藍的天天的藍凍手指
是時候步上變節之道
發亮吧蠟筆

[音]墓


詞曲:友川カズキ

「墓」

東京へ行けば 倖わせが
きっとあるわと 言っていた
姉さん 東京に行ったきり
武さんあんなに 止めたのに
体も心も ボロボロに 姉さん男に 騙されて
姉さんみたいな いい人を
姉さんみたいな いい人を
昨夜きいた あの歌は
墓場の前で 武さんが
ローソクに向かって うたった歌
武さんが胸で うたった歌
ローソクが揺れた ユーラ ユーラ ユーラ
風にボロン 子守唄
きかせてあげたいな 姉さんに 姉さんに

たまに届く 手紙には
お金のことだけ 書いてある
姉さんの手紙を 握りしめ
母さん涙の 返事書く
すぐに帰って来い! すぐに帰って来い!
取り敢えず 7000円送る 東京が悪い 男が悪い
姉さんみたいな いい人を
墓を掘れ掘れ 子守唄 墓を掘れ掘れ 子守唄
姉さんの墓は 誰が掘る 姉さんの墓は 誰が掘る
武さんがうたった 母さんがうたった
墓石ぶつかって 風に揺れた
きかせてあげたいな 姉さんに 姉さんに


「墓」

若去了東京 妳說
我一定會幸福的
姐姐自從去東京
武先生就阻著她
肉體與心靈殘破不堪 姐姐被男人騙了
像姐姐這樣的好人
像姐姐這樣的好人
昨夜聽到的 那首歌
在墳墓前面 武先生
面朝著蠟燭 唱著歌
武先生胸內 唱著歌
蠟燭搖曳 搖啊 搖啊 搖啊
在風裡祈求的 搖籃曲
想給妳聽哪 給姐姐聽 給姊姊聽

偶爾收到的信
總是只寫錢的事
緊握著姐的來信
媽邊流淚邊回信
立刻回家來!立刻回家來!
總之 先給妳7000元 東京不好 男人也不好
像姐姐這樣的好人
墳墓挖挖挖 搖籃曲 墳墓挖挖挖 搖籃曲
姐姐的墳墓 誰在挖 姐姐的墳墓 誰在挖
武先生唱著歌 媽媽唱著歌
碰撞到墓碑 搖曳在風中
想給妳聽哪 給姐姐聽 給姊姊聽

2023年3月4日 星期六

[音]新盆


詞曲:友川カズキ

「新盆」

おじいちゃんの事 考え乍ら
土手を歩いて 行ったけれど
なかなか顔が 浮かんで来ないので困った

ゆかんされてる おじいちゃんの
痩せてももに 王将の刺青
どんなワケがあったのか 誰も知らない


「新盆」*

邊想著阿公的事
邊在堤防上走著
真是困擾總是浮現不出臉孔

在為他洗浴之時 阿公的
削瘦大腿上 王將的刺青
有著怎樣的緣由呢 無人知悉


*類似在台灣家中有往生者第一次碰到中元普渡的祭拜

2023年2月16日 星期四

[音]ルドン


詞曲:友川カズキ

「ルドン」

みたこともない 花が咲いていて
みたこともないから とってもきれいだ
見忘れた人々はまた
光の沼に 釣糸をたれている
たちどころに まやかしい水は
女体の歓喜のようである
時間も何もない それは白乱
川風が今しも 生まれて
誰かが そこに立っているのだ
オデュロン.ルドン こんにちは

打ちつけられて 蝶は飛びつづけ
黄色い小舟は ユメの手先の箱
出来心が さんさんと降り
恋のように ふたたび自分と会う
不器用にも 命はやりとりされ
絵だけが 私以外のものになる


「Redon」

從未見過的 花開著
因從未見過 美麗異常
是在哪見過的人們又
在光亮沼澤 垂著釣線
倏地轉眼 這誆人的水
貌似歡欣女體
時間盡失 白色渾沌
即刻 河川風起
是誰 站在那裡
Odilon Redon 午安

被釘住的 蝴蝶繼續飛
黃色小船 夢的手作箱
歹念心生 燦燦降落
猶如戀愛 再度相會
即便笨拙 尚可拿命換
唯有畫作 獨於我之外

2023年2月10日 星期五

[音]永遠ー福島泰樹氏に捧ぐ


詞曲:友川カズキ

「永遠ー福島泰樹氏に捧ぐ」

そばにいるからって 何ひとつ
許されている訳ではないのだ
顔をまっすぐにビュンと上げて
サディスティックに笑ってやる
その時 なまめかしい光を放ち
生きたまま花々は落下する
抱きしめるか 首しめるか
抱きしめるか 抱きしめるか

空の匂いは また ゆかしい
稚気らの 言い争う声
身支度を ととのえし女人は
天に召されて 行きし者
馬も人も鶏も眼も閉じる
肉どもが ひそひそする
首しめるか 抱きしめるか
首しめるか 首しめるか

いきおい歌人が濶歩してゆくよ
ああ魂も恋もまるで白い糸のようだ
編まれて彼女達は からくりのようだ
バチバチ はじかれて 節々はソロバン
何泣くことのユメユメ死体よ
さあ供養船に乗れよ
抱きしめるか 首しめるか
抱きしめるか 抱きしめるか


「永遠ー獻給福島泰樹」

從你周遭開始
全都不值得原諒
臉咻地筆直抬起
露出狂虐的笑容
此時妖豔光芒綻放
花朵們生氣勃勃落下
在緊抱嗎 在絞殺嗎
在緊抱嗎 在緊抱嗎

天空又是懷舊氣味
幼稚班的唇槍舌戰
整裝打扮的女人
蒙主恩召的逝者
馬與人與雞闔著眼
一群肉窸窸窣窣響
在絞殺嗎 在緊抱嗎
在絞殺嗎 在絞殺嗎

和歌詩人威猛闊步
靈魂與戀情宛如白絲
編織出傀儡般女人們
啪啪啪關節打著算盤
滿腹心事的勤奮屍首
去吧搭上供養船吧
在緊抱嗎 在絞殺嗎
在緊抱嗎 在緊抱嗎

2023年2月7日 星期二

[音]彼が居た―そうだ!たこ八郎がいた


詞曲:友川カズキ

「彼が居たーそうだ!たこ八郎がいた」

長い影が 無数にのびている
風は眠ったように 今のどかだ
誰もが兎になって 眼を閉じ
性格の節々が 疼き出したぞ
何が死だ! 生でもないくせに!
気狂いになる時から生きるぞ
穴の中には 幾億の群れ
群れにポトリと 彼が居た

理解ある老木が 2本も オオッ 倒れた
失意が黒々と天までも昇る
海には無言の光が降り
野という野には一面桔梗
待つものもなく 咲くことに咲く
年月が頭上を歪んですぎた
凍てついた 窓を放つと
天を見上げる 彼が居た

スタスタと人も時空も歩み去る
赤くなったり黒くなったりして
鳩に豆蒔く子らの前
無味な煙草を かさねている
遠くでメリメリ 青空が裂けた
裂けたことだけが頭にとけた
ふらついた腰に自分を乗せて
そうだそうだと首ふる彼が居た


「他還在啊ー對!章魚八郎還在」

無數長影伸展著
風兒打盹悠悠閒閒
大伙像兔子瞇著眼
性格各處疼痛襲來
有甚麼死了! 就是沒活了!
但發起瘋來還是活著
洞穴深處 幾億群居
群起簌簌 他還在啊

理解的兩株老木頹然倒下
失意黑漆漆地直奔天際
無言光線降落大海
原野上頭滿面桔梗
等都沒等 要開就開
時光在頭上歪斜錯亂
推開已然凍僵的窗戶
抬頭看天 他還在啊

人與時空疾行而去
時而變紅時而變黑
撒豆餵鴿的孩子們前
將索然無味的菸疊起
遠方緩緩斷折 藍天裂將開來
裂開的景象直往腦裡溶
被搖搖晃晃的腰牽引著
對啊對啊晃著頭他還在啊

2023年2月3日 星期五

[文]独白録_彼が居たーたこさんのこと

獨白錄 p.180~p.187

「他還在啊ー章魚八郎二三事」

還沒說到章魚八郎的事呢。

「友數!」*大聲叫著。「欸,友川啦」不管我對他說過幾次,「阿是喔,友數」還是會這麼叫。這分明是故意的吧。比我大上十歲,卻看不出誰像哥哥誰像弟弟,就像一對笨蛋兄弟,二十四小時全天黏在一起。常常在黃金街喝完酒就待在他百人町的公寓裡,雖然都是一起回住處,但一起床常不見他人影,他從早上就會在附近的店一人獨飲。「他還在啊ー對啊!章魚八郎還在」這首歌就是在他的公寓寫下的。

也會常常跟著到演唱的現場呢。「早~安~~」每天固定早上五點左右打電話來。只要跟他說「今天有唱歌的工作喔」,他就一定會跟來,我在台上唱歌的時候,他就一個人在休息室喝酒。當我在冒青筋大叫大唱時,休息室會突然傳來怒吼「友數!說夠了吧,別太超過了!」,就是要我別唱了,早點去喝酒唷。微妙的插話時間點,台下也全都聽得到,聽眾跟我都會忍俊不住笑出來。章魚桑啊,你就是無法對他生氣。

會認識他是經由赤塚不二夫。赤塚桑出書的企劃,在澀谷的東橫劇場舉辦「笨稻田大學鬧劇祭」。我也有受邀出演,雖然只是在幕間簡短地唱個歌。另一邊則有跟師傅由利徹一起過來的章魚桑,好像是擔任一個小配角吧。對了,塔摩利好像也在那。就在排演時彼此意氣相投,正式公演時,常跟諧星花太郎一起,三個人每晚一起去喝酒。

跟章魚桑在休息室廢話時由利桑會窺探著過來,「章魚!今天又要跟友數去喝嗎!」,斥責似的語氣。章魚跟我低頭屈膝說「是...」,「這樣啊,你們可別喝過頭了阿!」邊理所當然的遞過來一萬円。真的是像神明一樣的人呢。一萬在當時可是大數目啊。而且還是每天給。我們異口同聲的說「真是抱歉」,就在由利桑剛踏出休息室時,「好...我們走吧」。

續攤都是由利桑請吃請喝的時期,會迸出「靠著安非他命在延壽的只有我吧」這種話,其實他的內心是很寬廣的。章魚桑常常生起氣來會把由利桑喚作「臭老爸」,是這樣子在追隨他的喔。八郎啊,不是有punch-drunk嗎?在由利桑的住處時,每晚都會尿床。所以會在棉被下鋪藍色野餐墊,都是由利桑默默地在收拾吧。他們都是出身宮城縣,或許跟由利桑原本也是拳擊手有關,但其實遠不只如此。只要觀察一下,就知道由利桑很器重章魚桑,絕不單單是「師徒」間的關係。

跟我一起鬼混時punch-drunk病況應該好轉不少了,常常穿著遮擋布去大便。「章魚桑,要記得洗手啊」我雞婆的提醒。「友數,你果然是個笨蛋啊。這個只要晾乾就好了。」章魚桑的腸胃連要兌水喝時都不能加冰塊。有一次在搭電車時,「友數,不好了」臉色發青痛苦。下肢沉著走不過來,緊緊抓著西裝褲下擺。

一起去金屬球棒殺人事件的一柳展也的開庭時,在法院的前庭小便。盡全力想引起守衛的注意實在是很有趣,「即刻判我死刑也行!」記得我當時是這麼說的。跟Toshi一起坐車去青森遊覽時也是跟過來,在哪個停車場廁所完回車上時,剛剛還很饒舌現在卻突然不發一語。「怎麼了阿?」這樣問他卻完全沒回應,Toshi受不了卯起來逼問,才聲細如蚊地說「我錢包掉在廁所了...」說的都快哭了。

來我秋田老家玩的時候也是,大夥兒從早上就在海邊游泳玩耍,要回去的時候卻發現他的額頭有擦傷一直流血。真的嚇一跳,問他原因他說「一看到浪打過來就飛奔過去,結果是砂...」嗯,浪已經退走了呢。實在是太爆笑了,連老媽都說「典司,那個人,腦袋是不是怪怪的啊?」是真的非常擔心呢。

元全日本的拳撃冠軍呢,蠅量級的。打架是無庸置疑的強。類似的事由利桑跟團鬼六都有寫過。平常是很溫柔沒錯,想找他打架的話可是會奉陪到底。右邊的耳朵缺了一大塊,是跟某個作家決鬥時,被咬斷下來的。

曾有一次我正好在現場目睹。是在新宿二丁目的酒吧,被一群穿學生服應援團風格的小混混團團圍住,「我說你啊,說什麼章魚的...」非常固執的糾纏著。章魚桑一開始完全不想理對方,實在是很多人非常沒品,總之就僵持著。我則是在一旁怕得要死。一陣短暫的靜默後,章魚桑突然抓住帶頭的那個男的胸口開始痛毆,分也分不開。我趕緊跳進去,想辦法扯開往外拉,他呆滯無物的眼神,實在是很可怕。

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章魚桑成為『笑一笑又何妨』的固定班底後突然就很忙。在他人生末段就不太能約見面了。我也是被生活追著跑。

昭和六十年的夏天,在真鶴海岸游泳時溺死了。我在川崎的住處寫著什麼手稿時,「章魚桑,死了」電話打來說。跟舞臺劇演員田村寬兩個人,坐電車到小田原,前往被安置處真鶴警察署。我啊,告別式前三天三夜幾乎沒有睡,跟Toshi還有誰顧著酒桌。在出殯前夜替前來弔唁的斟酒,非常不可思議不管喝多少都不會醉。赤塚桑是每天都過來。在告別式上也有致弔唁詞,實在是太悲傷,什麼話都說不出。「章魚桑,我愛你唷」只說了這句話。

因為大家的愛慕,追悼時募集了大量的金額。有幾百萬吧。故鄉的哥哥說「請大家自由的使用吧」赤塚桑跟由利桑邊整理邊討論,最後決定在福島桑的寺廟建一尊「章魚地藏」,那尊地藏的右耳也是缺一塊的。嗯,這樣不是挺不錯的嘛。

我提出建議說要不要出版一本『章魚語錄』看看。「讓您困擾了真是感謝」還有「人類是會走路的宇宙」等等。不知是從哪撿來的句子,但句句是名言呢。會將魏爾倫的詩全都偷背起來,在酒吧公開表演。搞笑段子也是這樣,偷偷做好小抄藏在口袋裡。「章魚桑,你竟然會做這種事哪」說來也真是奇怪。

當時報紙以「章魚溺死在海裡」這種機靈的標題刊出,但跟章魚桑天然的機智比起來像騙小孩的把戲。事實上,他是一個頭腦非常好的人,在反駁別人時,細細數來是正確有理。假裝喝醉酒,其實有在注意別人說的話。章魚桑跟我有段時間參與外波山文明桑主辦的「擠壓劇場」,是劇場的相關人員喔,常常會彼此爭辯。大家,是半調子的知識分子。演劇論還是身體論,喝了酒到處亂說呢。基本上章魚桑都是醉倒在排演場的角落睡覺,只要有誰跟誰開始爭論,會突然站起來「現在的話是你不對!」開始糾錯。因為過度有理,大家反而哄堂大笑。這樣子裝著什麼都不懂,常能收服那種場合。

也喜歡繪畫呢。我畫給他的畫他都很喜歡,物質慾望為零的人,但在個展時因為想用會跑來跟我借錢,「友數,那個什麼時候要還你啊?」很奇妙的執著。特別地喜歡孟克,一起去過竹橋的近代美術館的孟克展。那時買的圖錄還附一個小書櫃裝飾著。

關於書本的事是屈指可數啦,不過我去住他家時,曾偷偷塞過來一本叫『一期一會』的書。「友數這個啊,因為你是個蠢蛋,偶爾也該看看這種好書哪『一、期、一、會。』」

讓人啞然失笑呢。「啊啊,章魚桑,我都沒看呢...」這也算一個梗吧。

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說到菊池豐桑,是跟章魚桑一樣很熟的共同朋友。豐桑是個岩手出身的劇作家。沒錢沒工作的三個男人,天天在黃金街竄來竄去。

豐桑自己當教練組了個業餘棒球隊。有次跟NHK借了場地辦比賽,擔任後攻隊伍。對方可是穿了整身黑的制服,還在胸口別了日丸旗。姑且是由我擔任王牌投手啦,不是「可千萬別被打中啊」那種緊張的比賽。章魚桑有以代打身分上場,穿著平時的詰襟學生服站在打擊區。怎麼看都不會打中,竟確實揮出去了。對手跟觀眾都拍手喝采。章魚桑,怎麼說都是冠軍呢,運動神經特別好。

豐桑傳授過我不少東西呢。直到現在算是親近友人的少數人之一。我是長大成年後才好好初次看過夏目漱石,那也是豐桑介紹給我的。用嘶啞的酒嗓「友川啊,漱石的東西可以看看還不錯哪」不知說了多少回,好吧我就來翻翻看,前期三部作『三四郎』、『後來的事』、『門』,特別的是一直讀下去會越來越有趣呢。波赫士也是這樣。豐桑好像是個放送作家,電視臺的工作受到他很多的照顧,每當見到他,各種回憶就會甦醒。

是什麼時候呢,章魚桑豐桑正月初一來我的住處玩,不到一個禮拜絕不干休。只要一起床就是一直喝酒,我也是疲倦不堪。但是,好像是永遠永遠分不開哪。下定決心終於送兩人送到川崎站,「離別前來一杯!」說著說著又到旁邊的燒烤店繼續喝,結果又回到我的住處。一個禮拜一直上演同樣戲碼。「難以忘懷 彩虹與花」*......

沒見面的日子也「今天有吃了什麼?」這樣三人電話來回確認。又不是什麼戀人,三個人也都好好變大人了,不會特地想喚回那種青春的光彩,就只是不自主地掛念著而已。但那無論何時都在忘我呆然的時光,到底是怎麼回事呢。

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章魚桑,已經去世有三十年了。「他還在啊」雖是在他生前所作的歌,託那首歌的福好像也有幫到我自己。神奇的是還變成鎮魂曲,真是感到幸好有個好結果哪。

但果然還是常在夢中會見到。章魚桑,跟往常一樣戴著山高帽跟穿著詰襟服,將手插在口袋裡。赤塚桑常會說「章魚變天使囉」,但為什麼在夢中常跟中也是同一人物來出現呢。「啊章魚桑!」這樣想著時,不知何時卻已經替換成中也了,真是不可思議。

「友數!你這個鄉巴佬!」大吼著的叫聲。會回想起來,有時候。


*Tomokawa Kazuki被唸成Tomokazu
*出自中原中也的『別離』

2023年1月25日 星期三

[音]乱気コッカラ舞い


曲:秋田伝承唄 補詩:友川カズキ

「乱気コッカラ舞い」

東西東西コラ東西東西 何舞もかに舞も
おっとり巻いて差ておいてコッカラ舞いはみっさいな
コッカラ舞いとはやされてコッカラ舞いはみっさいな
昔神代の始まりは いざなぎいざなみいざ柱
よろずの始まりコッカラで そこで生まれた秋津島
神の教えたことなれば ますます繁盛するように
めでたく暮らすもコッカラで悲しく暮らすもコッカラで
コッカラ舞いはみっさいなコッカラ舞いとはやされて
コッカラ舞いはみっさいなコッカラ舞いはみっさいな

鳥や獣や虫けらも こじきや旦那も役人も
世界各国区別なく 身分に上下の差別なく
辛抱するのもコッカラで辛抱のないのもコッカラで
夫婦ゲンカもコッカラで家庭円滿コッカラだ
コッカラ舞いはみっさいなコッカラ舞いとはやされて
コッカラ舞いはみっさいなコッカラ舞いはみっさいな

東西東西コラ東西東西なまなか人の身の上は
髪をのばして化粧して男か女か判らねえ
あちらの娘のソデを引きこちらの娘に手をのばし
愛だ恋だと言うけれどやっぱり本当はコッカラで
コッカラ舞いはみっさいなコッカラ舞いとはやされて
コッカラ舞いはみっさいなコッカラ舞いはみっさいな


「狂亂起源舞」

各位各位喂喂各位各位 跳起來跳起來
咻蹦咻蹦咻蹦蹦起源舞照過來
起源舞奏起來起源舞照過來
古代神話的起源 伊邪那歧伊邪那美天御柱
數以萬計的起源 就此誕生的秋津島
神仙帶來的教導 越來越繁盛
快樂活著的來一下悲傷活著的來一下
起源舞照過來起源舞奏起來
起源舞照過來起源舞照過來

小鳥野獸螻蟻 乞丐官員老闆
世界各國沒區別 身分高低沒區別
忍得下來的來一下忍耐不住的來一下
夫婦吵架的來一下家庭圓滿的來一下
起源舞照過來起源舞奏起來
起源舞照過來起源舞照過來

各位各位喂喂各位各位不上不下的身體上
頭髮留長化個妝是男是女不知道
那兒的姑娘挽起袖這兒的姑娘伸玉臂
雖說著是愛是戀其實是想來一下
起源舞照過來起源舞奏起來
起源舞照過來起源舞照過來

2023年1月19日 星期四

[音]秋田乱調音頭


補作詞・曲:友川カズキ

「秋田乱調音頭」

ヤットセ ソレ! 小便して洟かんで来い
キッタカヤッサー ドンツク ドンツク
いずれこれより ごめんしてけれだば
おめだば ごめんさえねでや

めらしは下ふぐ わらしはおだふぐ 目くされまなぐふぐ
朝汐胸ふぐ クジラはシオふぐ やましはホラをふぐ

ふすまの陰で 立ちうんしてだば ほたるがとんできた
どでんビックリ グッグッと抜いだば ボヤーッと湯気あがた

じゃんごのエモ吉 生意気だげで 氷水呑みに行った
ガボガボ呑んで ついでにシャジまで ガッポリ呑んでしまった

あわでだエモ吉 村の医者さ 泣ぎ泣ぎとび込んだ
こんな病気は見だごどねどて ヤブ医者シャジ投げだ

おらの姉ちゃん リンゴっこもぐどで 椅子さ足かげだ
隣のさんげ猫 下から眺めで 背中さかどたでだ

いずれ来る豆 よぐ来たかんと豆 何とでもよさぐ豆
夫婦納豆豆 あの親父けち豆 大金縁遠豆


「秋田亂調音頭」

來來來跳吧 撒尿兼流涕
現在來跳吧 太鼓咚咚咚
沒什麼比這更失禮
連你也不得不承認

姑娘在擦淨褲襠 孩子在鼓著臉頰 眼病患者在揉眼
潮汐涌在胸膛 鯨魚水柱噴湧 大說謊家大吹法螺

躲在障子暗處 只顧站著大便 螢火蟲突地出現
嚇出一身冷汗 飛快擦拭屁股 糞便熱氣噴騰

鄉下來的阿吉 自大自傲自滿 喝冰水吞冰塊
一瀉千里 結局結果 嚥下湯匙

阿吉困惑不已 大哭跑進診所
這什麼病沒看過 庸醫丟湯匙投降

我姐姐 拿蘋果 雙腳抬高站椅上
隔壁三毛貓 由下往上眺 寒毛直直豎

早晚會來的豆 來得好啊落花生 無論如何綠豌豆
夫婦情膠似納豆 親爹體健吝嗇鬼 我別指望變有錢

2023年1月7日 星期六

[音]鬼


詞曲:友川カズキ

「鬼」

今しも空から何やが
舞い降りる気がして
カラダを皿にするのだが
ついぞそれは現われず

ただただ諦観のみ
露わなり露わなり

鬼さんこちら手のなる
方へと呼ばれても
こちらがどちらか見当もつかぬし
もとより行く気がないのです

ただただ諦観のみ
露わなり露わなり

鬼だからさみしいのかさみしいから
鬼なるのかホーホケッキョー
昨夜は育ての親のユメを
ハラハラとハラハラと見ていた

ただただ諦観のみ
露わなり露わなり


「鬼」

現在像有什麼
從天而降飄著
渾身感官大張
自始至終未現

唯有諦觀至臻
才會顯才會露

鬼我在這裡
邊叫邊拍手
這裡是哪裡毫無頭緒
更不用說根本不想來

唯有諦觀至臻
才會顯才會露

因為是鬼才變寂寞嗎因為寂寞
才變成鬼嗎呼呼~啁啾啁啾~*
昨晚養母在夢境裡
輕輕巧巧緩緩飄落

唯有諦觀至臻
才會顯才會露


*報春鳥的叫聲

2023年1月4日 星期三

[音]明るい耳


詞曲:友川カズキ

「明るい耳」

まぶた閉じて友は草木の中に居る
雨の日にはやおら唄い私を試しているのか
チャランチャラン風にそよぐ
彼らの明るく大きい耳は
紺碧の空高らかなラッパ聴いている
はてはてもう 美しくはないのだろうか
先生ヽ加藤先生

若き青いくるぶし道はされどトウシロウ
踊り狂う夜にゃ吉祥天女が酒汲む
ザブンザブン海原渡る
光はいずこの魔物の正体であろうや
あほうなるワタシャただ 孤立の骨の音を聴いている
はてはてもう 美しくはないのだろうか
先生ヽ加藤先生


「靈明雙耳」

闔上眼皮 樹叢裡的朋友
雨裡的徐徐音節在測試我嗎
鏘啷鏘啷的風裡窸窸窣窣
他們快活靈明的大耳朵
聽著湛藍天空喇叭高唱
終究還是 不再那樣美麗了吧*
老師 加藤老師

年輕淡藍的腳踝步向蹩腳素人
癲狂舞著的夜裡痛飲吉祥天女
越過滔滔汩汩的大海
光線是哪來的魔物本尊嗎
愚笨如我只聽得孤骨殘音
終究還是 不再那樣美麗了吧
老師 加藤老師


*年輕時騎車送外賣,加藤老師曾稱讚:「你昨天的背影很美麗阿。」

2023年1月1日 星期日

[音]三種川


詞曲:友川カズキ

「三種川」

何をしていいのか 判らないから
目玉をクルドロン 叩いてみるさ
いざや むそじを すぎてこの
荒みの何々は 虫唾もんよ

三種川に浮かぶ
キュービーのような
悲しみのないあわれと青空だ

競輪場に泥のように立つ 勝ち続けたいのだ
負け続けてなお 勝ち続けたいのだ
時にモラルはへのカッパ 魂を抜くシャブのよう
気をつけした足首から とかされてゆく

三種川に浮かぶ
キュービーのような
悲しみのないあわれと青空だ

まぼろしは菓子折と言葉が好きなのだ
よって私は軽蔑された
骨はじょうぜつだが私はそれを唄えない
叩けばコンコン音する才なしゆえか

三種川に浮かぶ
キュービーのような
悲しみのないあわれと青空だ


「三種川」

該做什麼好 完全沒頭緒
轉轉眼珠彈出來拍拍看
唉 已經過了六十歲
面對種種荒唐 感到厭惡

像漂在三種川的
Kewpie玩偶
不顯悲傷的悽慘藍天

在競輪場攤成一塊泥 想要一直贏
一輸再輸輸不停 想要一直贏
時不時喝破道德 像移魂興奮劑
筆挺站穩腳跟卻開始 溶解散盡

像漂在三種川的
Kewpie玩偶
不顯悲傷的悽慘藍天

幻影是喜歡菓子禮盒與祝賀詞
所以我才被輕蔑忽視
骨子裡雖長舌卻唱不出所以然
只敲得出叩叩聲實在是沒有才

像漂在三種川的
Kewpie玩偶
不顯悲傷的悽慘藍天

[文]友川カズキ,或者京王閣競輪場教我的事


https://okapi.books.com.tw/article/11394

「再一次教我夢想的,不是Dylan也不是Springsteen。是在早晨衝刺著的滝沢正光,單是騎著會遇到什麼阻礙,我就能學習到太多東西。喂,是夢也好,再來一圈,哪,是夢也好,再來一圈!滝沢,快逃啊,滝沢,快逃啊!」

「從滝沢正光身上學到的東西,到底是什麼呢……」看著一圈又一圈在場內加速衝刺的腳踏車,試著找出剛剛下注的號碼,整個在競輪場的下午,我的腦袋裡,伴隨著友川カズキ(Tomokawa Kazuki)蒼涼而強韌的歌聲,一直冒出這個問題來。

那是前年秋天,跟著朋友去日本看友川演出的時候。

聽了友川的唱片多年,始終沒有搞懂競輪是什麼。每次聽著夾在奇詭荒蕪意象裡,寫進歌詞的競輪場景,總是當作這位不良中年的興趣。「人生最大的夢想,就是什麼也不做,每天專心賭競輪」,看到這樣的訪談時,也總是當成下酒用的玩笑話。

演出前兩天,逛完唱片行跟二手書店,行程突然空了下來,想到難得來一趟,就拜託後援會的佐佐木帶我們去下注。

到了京王閣競輪場,跟想像的完全不同,是個非常安靜的地方。不像本來以為的,耳朵裡會充滿「上啊!」「不要被追過去,你在幹什麼!」觀眾只是靜靜看著。

三分鐘後比賽結果打在看板上,沒有傳來「可惡,又差了一步」的吼叫,地上也沒有像《菊次郎的夏天》裡,堆滿北野武撕碎的存根,旁邊的老伯只是搖了搖頭,走到旁邊的小攤子,點了燉牛雜跟燒酒,坐了下來。

這種安靜,跟體育大賽營銷廣告詞「超越勝負的感動」之類的沒有一點相似之處,對泰半在六十歲以上的觀眾來說,不像賽馬關於運氣,賽車要靠資本與車廠的技術,純粹比拚騎手的賭注,與其說寄託著發達致富的幻想,更像是日常生活的一部分。

空氣帶著些許涼意,隔著跑道的柵欄看過去,在下一場比賽即將開始的廣播提醒裡,這座在戰爭結束幾年後興建的競輪場,像是悄然接住了經濟成長率折線上一個一個掉落下來的靈魂。

那樣的景色,彷彿折射著友川關於競輪的回答。當朋友勸告,別再賭了,賭錢只會帶來破滅,他說,「不是競輪帶來破滅,是破滅的人們在賭著競輪。」

在那意外的安靜裡,好像跟那些歌更靠近了一些。

殘破、有點冷的,身體哪裡磨損了,再一次跟一百萬元擦身而過,不知不覺,認識的騎手也快要40歲了,但鈴聲等一下就會響起,他會直直地往前踩下踏板。

溼透的髒毛巾綁在腰上,搖著搖著搖著,
但終究還稱不上死人呀。
在自家門前停下腳步,下了決心推開了門,
但終究還稱不上地獄呀。
活著的話,就說出來啊!
活著的話,就說出來啊!
──〈說啊!你還活著!〉

看著起跑線上排成一列的騎手,眼前交錯絕望、孤獨與暴烈的生之意志,正像是友川所唱的句子。在激烈的刷弦裡,歌聲總是從內臟掏出,直截地打在聽者的胸口。即使不懂歌詞,都會感受到裡面的疼痛,比起歌詞,那要傳達的或許更在字詞之間野犬般的嚎叫。

那甚至並不打算傳達,在那些低聲、清澈的歌裡,友川的聲音每每忽大忽小,低得幾乎消失在吉他後面,當你聽到的時候,彷彿也聽到喉嚨內裡的血管。彷彿,他只是自言自語,確認眼前再也拼不起來的景色,有著哪些東西。

死去的火藥、籠中的鳥、海一樣的天空、傳來笑聲破洞的西瓜、在深夜說著過來過來的人……在那裡面,布滿了超現實、卻又一個一個從現實剪下的破片,然後在家庭主婦們切著晚餐材料,看著電視上獵殺海豹的午後,在沒有可以回去之處,他摸了摸腳踝,唱道:「這裡,這裡是哪裡呢?」

如果能在橋上,把故鄉用力丟出去,
會暢快得多吧。
回頭再看一眼,我耽溺在裡面的,
是老奶奶吧。
這裡是哪裡呢?
寒冷的風,咻地咻地。
──〈這裡是哪裡呢?〉

只是,如果把競輪場當作友川心裡的風景,無處可歸的歸處,在這片安靜裡,除了蒼涼,除了決絕的意志,這裡似乎還有一些別的什麼。

不像友川總是下注不被看好的高賠率,我下了幾個報紙上最被看好的騎手,贏了一張,輸了五六張。在我們每個人輸掉一千日圓,天色開始暗下來的時候,今天的冠軍誕生,幾個粉絲跑上前去,小小地圍成一圈,給騎手獻上花束。

拿著手上甜不辣的紙碗,看著他們,腦海裡突然湧現出友川為詩人中原中也譜曲的〈Circus〉。

經過多少時代,
有過茶色的戰爭。
馬戲團帳篷高高的橫梁上,
有人盪著鞦韆。
屋外一片黑暗,
黑暗中的黑暗,
漸漸深去沒有盡頭,
與跳傘人的鄉愁一道。
經過多少時代,
今夜此地縱情盡興,
經過多少時代,
冬日仍舊吹著疾風。
──中原中也,〈馬戲團〉

冷下來的十月底傍晚,隔著手上的溫度,眼前的競輪場,彷彿跟中原中也筆下的馬戲團重疊了起來。

在那重疊的,一片黑暗裡的輪廓,彷彿有著腦袋裡繞了一下午問題的答案。

這個安靜的老去的地方,有的,並不只是荒涼的風景。雖然只是破滅人們的聚集,雖然只是空虛的夢的憑證的堆積,但在那一圈一圈的輪迴裡,也同時築起了生活的重量。

在看似什麼都已沒去的時代,在看起來不過是微不足道的發財欲望裡,某種最直接的最真實的情感的流動,也在此地匯聚。

也在那時,我才察覺到,或許,中原中也對友川的影響比我知道的要多上許多。

從PSF唱片認識友川,聽了十多年,一直將友川放在1970年代以降迷幻搖滾、自由即興、噪音等地下音樂的脈絡下聆聽。在高速成長期的日本,這些樂手背對著水泥高樓,像雜草一樣蔓生,尖利地指向社會體制的空洞。

但是,友川的銳利與破片,儘管同樣背向了中產階級的成功階梯,卻有著一種不在地下室裡的,人與人之間的氣味。不同於阿部薰、灰野敬二聲音裡絕對的孤獨,那些散落在友川歌曲裡的中原中也,在他身體的鳴叫裡,構成了一個柔軟的,有著微弱的光的角落。

相較於革命運動幻滅後的次文化開展,或許,友川更像是從一開始,回應的就不只是那個時代浪潮的光和影子,而是更久以前開始的事。

那不是從外來理論出發的世界革命,而是在現代化國家體制下,被拋落的人們,自己在角落燃起的燈火。1937年,中原中也過世不久前寫下的詩句說著,那徵召了人們前往遠方沙塵飛揚大陸的戰爭,與在困頓下搭起的馬戲團,早在革命之前,便在那裡了。

於是,那個早已經破碎,如果能夠用力丟出去就好了的故鄉,始終讓他不斷回頭返顧的故鄉,像夢一樣,既是揮之不去的㝱魘,也成為決絕意志的根源。讓他總是在寒風吹過的早晨,凝視著一地的碎片,也總是試圖在裡頭,看見一個停腳,然後繼續往前疾走的角落。

回新宿的電車上,因為下班而逐漸變得擁擠的車廂裡,我一邊想著那蒼涼裡的溫度,一邊想起多年前剛剛從秋田來到東京的友川。

在革命幻想退潮之際,來到東京的友川,是怎麼看待那個時代的呢?那個早上起來在工地煮飯,下午寫詩的他,那時已經開始賭競輪了嗎?

那個聽到岡林信康描寫勞動者生活的〈山谷Blues〉後開始自學一個禮拜的吉他,然後在電台節目無法忍受民謠歌手大合唱,中途逃跑的20歲青年,像是說著,不管是背對時代風暴落下的孤獨,或者想像著「我們時代」到來的合唱,都與他無關,所謂的時代,只是在這裡,在這裡活著然後說出來而已。

在雜誌訪談上,對關於時代關於文學與詩的提問,友川總是說,沒有特別的深意,只是把看到的、感覺到的東西寫下來而已。對於為什麼開始唱歌,總是說,為了賺錢啊。這樣的友川,如果看到前面的感想,大概只會說,好了好了,來喝酒吧。

但是,或許,也是這樣的、並不打算對時代說什麼的友川,讓那些歌在許多年後,與車廂裡一張張等著回家的疲憊臉孔,仍然在某個地方連在一起。

那像是說,當革命時代的大合唱,與背向經濟成長時代的追索,都顯得有些遙遠,以至於「時代」兩個字顯得可疑起來,「孤獨」也失去所指,當現代體制的重量壓垮了自己,而我們已經太過疲憊,不知道去哪裡尋找開口的方法。在這樣的時候,那在搖搖晃晃破舊的棚子,燉煮好的夢的碎片,仍然在冷卻之前,足以把溫度傳遞過來。就像四十年前在那張叫做《肉聲》的唱片裡,他所唱著的:

比起喋喋不休,沉默更好點,這是最重要的吧。
唱也好,聽也好,總是自己的樣子吧。
用鉛筆的重量背著自己的悲哀,這樣去作夢吧。
青春不就是這樣,不就是這樣的嗎?
──〈這樣才青春〉