2013年12月21日 星期六

[音]井戸の中で神様が泣いていた


詞曲:友川カズキ

1:井戸の中で神様が泣いていた
2:絵の具の空

「井戸の中で神様がないていた」

鬼の首には 血のりの輪っか
くすんで干し花のように巻かれてた
風があの時 孕んだものは
憎悪の空と嗚咽の根っこ
喉をみたそうと つるべを落としたら
井戸の中で神様が ないていた

あらゆる価値が壊れればいいと
壊してやりたいと念じてはいる
退屈なるもの 整然なるもの
血の失せたもの 終末なるもの
時に場所に はるかなる朝に
井戸の中で神様が ないていた

雪が降る降る悔恨の肩に
死せし者に 生くる者に
いかほどの余地も ないのだから
肚を決めて 立つしかない
音のとぎれた罪人の背中に
井戸の中で神様が ないていた


「井裡有神在哭泣」

鬼頸上一圈黏糊血輪
像凋謝的花默默纏著
那時的風孕育著
仇恨的天與嗚咽的根
喉頭滿溢吊桶直落*
井裡有神在哭泣

各式的價值崩壞也好
破壞的念頭一直都在
在寂寞的有秩序的
無血色的已完結的
此時此地遙遠的早晨
井裡有神在哭泣

雪飄降在悔恨肩頭
在逝者上 在生者上
已經沒有多少餘地
僅能帶著覺悟挺立
在中斷樂聲的罪人後背
井裡有神在哭泣


*指夕陽

2013年12月20日 星期五

[畫]青空0203


畫:友川かずき(Tomokawa Kazuki)
文:立松和平
譯:橙子

小小的我,头顶着大大的青空,故事就发生在那个时代。

我家院子角落里有个从地底冒水的洞眼儿,我喜欢看大家纷纷聚来打水。幼小的我有时坐在门口走廊上,有时站在杂草丛生的院子里。

只要呆在自家院子里就能认识附近的人。有的人顾虑着小心算好水量,也有的人满满打上两桶,一左一右,一步一洒。

2013年12月17日 星期二

[文]粉红小电影什么的


文:橙子

「粉红小电影什么的」

终于看到了友川カズキ当年主演的粉红小电影……(你到底在想什么!)
可是imdb没有条目硬要豆娘加这种片好像不太好呢就在这里记一笔……

话说今天看杂志采访才知道片名「修羅の門~若妻人質性拷問~」,有没有很诱惑!(哪有!)

随便一google居然就有付费下载……然后这个网站好麻烦总之经历了千辛万苦才把800日元花出去……

开头确实很a的样子,但是我注意到完全没有干货!av观影经验几近于0的人都可以看出来全是可以借位的活塞运动!然后突然画面停止,大字体片名打出来!这是要进入正轨了吗!

……嗯,变成了社会片……

确实穷凶极恶的捏胸特写和借位活塞运动的镜头稍微多了些,但基本上就是个社会片!

讲一个只会打女人见到男人就低声下气的废柴,因为太废丢了工作又被女人甩,然后拿了把刀冲马路上报复社会的故事……

总之,从头到底都巧妙地避开了(剪掉了?)所有下半身正面镜头……

幸好没买1980日元的高清!

但是!友川意外有演技呢!跟三岛有一拼呢!(咦?)

最后,根据采访,这片本来是找泉谷しげる还是谁的,因为人家出价太高才屈尊找了友川呢……反正他只要一点点钱就啥都可以了……嗯……?


(註:以下精采截圖與解說略)
(註:插入曲是友川與石塚俊明菊池雅志合奏的「鬼の子守」與不知名即興曲)

2013年12月16日 星期一

[音]汚れつちまつた悲しみに


詩:中原中也 曲:友川カズキ
譯:橙子

「汚れつちまつた悲しみに」

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる


「脏掉的悲伤」

脏掉的悲伤之上
今天也落着小雪
脏掉的悲伤之上
今天也冷风肆虐

脏掉的悲伤
像一张狐狸毛皮
脏掉的悲伤
在小雪中瑟缩

脏掉的悲伤
无所期望无所求
脏掉的悲伤
倦怠中梦着死亡

脏掉的悲伤
惨痛退缩
脏掉的悲伤
无事可为日渐西沉

2013年12月15日 星期日

[音]湖上


詩:中原中也 曲:友川カズキ
譯:橙子

「湖上」

ポッカリ月が出ましたら
舟を浮べて出掛けませう
波はヒタヒタ打つでせう
風も少しはあるでせう

沖に出たらば暗いでせう
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう
――あなたの言葉の杜切れ間を

月は聴き耳立てるでせう
すこしは降りても来るでせう
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう

あなたはなほも 語るでせう
よしないことや拗言や
洩らさず私は聴くでせう
――けれど漕ぐ手はやめないで

ポッカリ月が出ましたら
舟を浮べて出掛けませう
波はヒタヒタ打つでせう
風も少しはあるでせう


「湖上」

月亮一升起
我们就去湖上划船吧
会有波浪拍打船舷
会有微风轻轻吹过

划至深处天色更暗
船桨滴落的水声
听起来像是呢喃
在你谈话的间隙

月亮会竖起耳朵
略微往下降吧
我们接吻时
月亮正悬在头顶吧

你会聊得更多
从闲谈到抱怨
我一一听着
划桨的手却不会停

月亮一升起
我们就去湖上划船吧
会有波浪拍打船舷
会有微风轻轻吹过

2013年12月14日 星期六

[詩]朝の骨_ある自画像

form : 朝の骨 18/19

「ある自画像」

エゴンシーレの自画像には
空の年輪がくっきりと透けて見える
緊張の孤独に歪められた重い道が見える

それが時おり
ぞっとする位ニヤついたりするから可笑しい

腹いたの時にでも描いたろうその顔に
町でたまに出くわす
何も黙って通りすごすのだが
帰って来て
自分がその顔になっているのに気付く

塗り変えようと考えた時には
すでにそれは
いつものように
壁に画鋲で斜めにとめられているのだ

エゴンシーレの自画像には
空の年輪がくきっりと透けて見える
緊張の孤独に歪められた重い道が見える

うちなる棘が
何かしら
突出の機を真剣に窺っている


「那自畫像」

在Egon Schiele的自畫像裡
透視出清楚的天空年輪
扭曲的緊張孤獨的沉重道路

處在那時空
對像被嚇到的毛骨悚然感到可笑

肚子痛時強迫自己去畫的臉
像在街道偶遇
什麼也不說的走過的人
回到家後
發現自己就是那樣的一張臉

考慮著是否要塗掉修改時
已經無法改變
如同往常
在牆上的圖釘已經傾斜鎖死

在Egon Schiele的自畫像裡
透視出清楚的天空年輪
扭曲的緊張孤獨的沉重道路

在體內的棘刺
說不準是什麼
趁突出時認真的窺視

2013年12月13日 星期五

[音]続・ボーする日(ヘルペスとのただかい)


詞曲:友川カズキ

「続・ボーする日(ヘルペスとのただかい)」

脳味噌もカラダも脆弱ときた
運気の兆しもさっぱりだ
さなり一番 でたとこ勝負だ

顔面がバスキアの絵のようだ
言葉が「イ」がもどかしい
アイ イイイ ウエオ

歌にぶつかって砕ける
こなごなに散りゆく勘違い
その勘違いが好き

魂も何も 抜けちゃって
トウフのネコマンマ片手に
マラソンを見ていた

血管の中を のぼり来る
全速力の我がバカは
メダカの学校の生徒さん

行くことも戻ることも やめちゃって
ただただここに居るべし
とどまりてここに居るべし

マラソンはいよいよ 佳境に入る
私はいよいよ虫の息
メダカの目もなくボーボー

ドンドンドアを
叩いてる
誰かが訪ねて来たようだ
三日続きの幻聴だ

ケムリもアルコールも打っちゃって
酔いなき ざれ者の句読点
君よ貧しき使者よとっとと来やがれ

まぼろしのまゆ玉に憑依され
うつつを抜かすこともおぼつかぬ
秒針のようにパチパチと愚鈍をする

今や遅しと走り来る敵
姿も手の内も見えねども
そん時やこちとら
スリーポイントシュートだ


「持續茫然的日子(鏖戰疱疹病毒)」

腦袋肉體開始衰弱
運氣萌發毫無起色
還是得聽天由命分勝負

顏面像巴斯奇亞的畫
唸著「イ」讓人不耐煩
アイ イイイ ウエオ

用歌曲來擊成碎片
飛散成粉狀的錯覺
喜歡這種錯覺

魂魄啥的全都出竅
單手捧著豆腐貓飯
眼前是一場馬拉松

在血管中攀升竄高
開全速的我是笨蛋
稻田魚學校的菜雞

前進不得後退不能
只能給我待在這裡
不得動彈待在這裡

馬拉松終於進入高潮
我也已經氣若游絲
稻田魚眼睛消失茫茫然

門咚咚地
在敲打著
是誰來訪
已連續幻聽三天

跟煙與酒精說再見
醉到又哭又鬧的末路
你貧困使者快滾過來

被幻影的繭玉附身
連魂不守舍都沒把握
秒針滴答滴答著的呆頭

迫不及待敵人奔來
尚未見其身影掌心
當下咱是個
三分球射手

2013年12月12日 星期四

[音]空


詞曲:友川カズキ

from:朝の骨 62/63

「空」

空にあるのは 鳥の声
生きてあるかの如く
絶える間もなく にぎにぎと
そこだけが真実ではあるのだが
真実ではあるのだが
真実ではあるのだが

食卓に白魚のある朝
ドブロクもろとも いざ天へ
子らは愉しげに 駆けまわり
風にグミの木が搖れていた
グミの木が搖れていた
グミの木が搖れていた

気の長い芝居を見てたような
苛立ちも30年あるんだが
さりとて寄る辺のない身に
夢だけが壊わたまま立ちんぼう
壊わたまま立ちんぼう
壊わたまま立ちんぼう


「天空」

天空中有鳥叫聲
像是還活蹦亂跳
嘰嘰喳喳很快消失
在那邊還有真實
還有真實
還有真實

早晨餐桌有白魚
與濁酒相伴朝天去
孩子們快樂的亂竄
風中茱萸樹在搖曳
茱萸樹在搖曳
茱萸樹在搖曳

像在看悠哉的戲劇
為此已著急三十年
然而沒什麼可以依靠的我
夢只是站著發呆持續崩壞
站著發呆持續崩壞
站著發呆持續崩壞

2013年12月11日 星期三

[音]ワルツ


詩曲:友川カズキ

「ワルツ」

流れてそして君 
ボロボロになるのだや君
夢は はてなく宙舞い 
雲みたいに漠々とあるのだや
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ

晒すのは恥しかない 
ありのままあらん限り
血肉とて いつかは 
皮膚を出て不明になるのだや
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ

切なさを生きて君 
前向きになるのだや君
物語は らせんに 
この世からあの世へとかけのぼる
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ

冬空をけちらして君 
いざり来る 春もまたある
春雷に 御身を君 
遊ばせて きっと復讐産むのだや
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ


「華爾滋」

妳流淌著
滾滾落下
夢舞在無垠宇宙
如雲般廣漠無涯
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

就只是顧著出醜
將羞恥全然傾出
反正血與肉早晚會
冒出皮膚不知去向
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

痛苦的活著的妳
已經積極往前了
話語也順著螺旋
從這世攀登去來世
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

驅趕走冬空
又瘸著爬來的春
春雷下將妳如此
玩弄撫摸 必生仇意
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

2013年12月10日 星期二

[音]一人ぼっちは絵描きになる


詞曲:友川カズキ

「一人ぼっちは絵描きになる」

光の粉をまぶしたように
フランスの丘という丘が
淡いオレンジに輝いているのは
ポールセザンヌのせいである

破戒なのか革命なのか
関節のゴツゴツした音は
たまげた構図の中で休む
エゴンシーレは誰なのか

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる

むろん正気などではありはせぬ
赤いガランス内なるデカダン
村山槐多 思いし夜は
何ためらうことなく殘酷になる

覚悟などとるに足らぬのだ
いつか君に励まされた
長谷川利行 さみしかないか
今日のメシはさみしかないか

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる

確かなものなぞ何ひとつない
人とて詮ない肉片なり
フランシスベーコンはるかなりけり
いつかおぼろげなハグをした

軽きに空をちぎって見せる
パウルグレーの欲深き指は
甘美な鳥の爪跡か
名も無き民の暗号か

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる

台風が好きだった
黄色いパレット カタカタ鳴らせば
越年の雪の小窓で揺れる
関根正二あなたでしたか

砂浜に輪になって踊る
園児等は月の宿した子供だ
黄金の鳥に赤いリボン結び
中村彝がやって来た

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる


「孤零零時會變畫家」

猶如塗滿了亮粉
不正是法國的山丘
散著淡橘色的光輝
都是Paul Cézanne的錯

是在破戒還是革命
關節在劈哩啪啦響
噬人魂魄的構圖中休息
Egon Schiele你是誰

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

神智當然一點也不正常
內在是紅茜色的頹廢派
村山槐多所思慮的夜
毫不猶豫的殘酷襲來

持有的覺悟還是不足
曾經這樣被你激勵著
長谷川利行 你寂寞嗎
今天吃飯會寂寞嗎

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

能確定的事為何都沒有
人在束手無策時是俎肉
Francis Bacon在遙遠的過去
曾經給出朦朧的擁抱

輕快地將天空碎成萬段
Paul Klee的貪婪手指
是甜蜜鳥兒的爪痕
還是無名人類的暗號

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

是喜歡颱風嗎
黃色調色盤咔噠咔噠響
過年降雪小窗搖晃
關根正二就是你吧

沙灘上圍成圈跳舞
幼兒們是月亮的孩子
黃金鳥打著紅色蝴蝶結
中村彝駕到

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

2013年12月9日 星期一

[音]水には映らない


詞曲:友川カズキ

「水には映らない」

村の小さな天才たち
あんぐりとした喉に突き刺さった
ぬかニシンの小骨のヒラヒラ
何もかもゆっくりとさみだれていく今日
今すぐ 私をみて
タンポポの葉じゃ 駄目だってば

まさぐるものは言葉とて同じ
危うさにだけ すぐ手が動く
生は 長い外出
死んだところで戻った事にはならぬ
ただ一個 なくなるだけ
タンポポの葉じゃ 駄目だってば

あらかじめ約されてでもいたのか
重さのない空をいくつもかかえて
花の何に急ぐというのか
晴れわたったもののそこかしこに
呪縛の神が映ってる
タンポポの葉じゃ 駄目だってば


「水映照不出」

村裡的小天才們
刺卡喉嚨大張其口
米糠漬鯡魚的翩翩小骨頭
整個放緩綿綿梅雨的今日
很快的 我看見了我
蒲公英的葉 卻看不見

摸索跟言語沒有兩樣
有危機感才有所行動
生命是 長久的外出
死在某處就不會歸來
只有一個例外
蒲公英的葉 必會歸來

是早就約定好的嗎
一起輕盈地擁抱天空
花兒啊你是在急什麼
天空放晴到處都是
咒縛的神被映照出
蒲公英的葉 映照不出

2013年12月8日 星期日

[音]家出青年


詞曲:友川カズキ

「家出青年」

春花に身をかがめて行った
時間達は虚ろに
俺の影に積み重ねられて行った
家出青年の背中は新しい腫れあがって行った
蒲団にもぐる時「このままでええや」思った
蒲団を蹴る時「このままじゃ駄目だ」思った
目をつむり乍ら走り去るあの煩わしさは
すべて遠い春の日の少年の骨の中だ
かかかかかかかか……

雪道に自分の可笑しさを並べて行った
次々と苦渋が濡れたままの姿で
いちころになった
家出青年の希望はドブ河を
チャプチャプ海へ泳いで行った
蒲団にもぐる時「このままでええや」思った
蒲団を蹴る時「このままじゃ駄目だ」思った
楽しさにまぎれて散ってゆく
赤いうらめしの花
それでも手配された人達は
怒りの気球を打ち上げた
かかかかかかかか……

にぎやかな
音ばやしの中にいた
地を這う孤絶の中にいた
家出青年のまぶたは
虚心にまみれて行った
蒲団にもぐる時「このままでええや」思った
蒲団を蹴る時「このままじゃ駄目だ」思った
目をつむり乍ら走り去るあの煩わしさは
すべて遠い春の日の少年の骨の中だ
かかかかかかかか……

最なる時のさなかにあって
人どちは皆一樣 寒立馬である
寒げな淋しげな風である
「次世代のため」なぞと言うから 滑稽になっちまう
「負の遺産」なぞと括るから たいがいになっちまう
原爆だろうと何だろうと
イヤなモノはイヤだと声を成せばいい
色素のない奥ゆかしき美意識なぞ
そんじょそこらの ニワトリのフンですらない
君よ 君よもしや
かつてこの国には まっ青な翼の鳥がいた

「貧困が暴力」なら 無知も暴力である 悔しき暴力である
「貧困が暴力」なら 無知も暴力である 悔しき暴力である


「離家青年」

春天花朵裡屈折著身前進
空虛的時間們裡
被自己積的影子壓著前進
離家青年背著新腫塊前進
鑽進被子 想著「這樣下去也好」
踢開被子 想著「這樣下去可不行」
閉上眼想逃離這類煩雜
全在遙遠春天裡的那少年骨頭中
咔咔咔咔咔咔咔咔......

雪道上與自己的可笑並行
接連被苦澀浸濕的身姿
萎靡易挫一擊就垮
離家青年的願望是在水溝裡
朝著嘩啦啦的海水游去
鑽進被子 想著「這樣下去也好」
踢開被子 想著「這樣下去可不行」
快樂地紛亂飛散
帶著恨意的紅花
被通緝的人們還是
將憤怒的氣球往上擊打
咔咔咔咔咔咔咔咔......

熱鬧非凡哪
在囃子樂聲中
在底層生活的孤絕中
離家青年的眼皮
滿佈著虛心前進
鑽進被子 想著「這樣下去也好」
踢開被子 想著「這樣下去可不行」
閉上眼想逃離這類煩雜
全在遙遠春天裡的那少年骨頭中
咔咔咔咔咔咔咔咔......

在這最關鍵的中心時刻
不分你我每個人都是 寒立馬
處在寒冷荒涼的風中
「為了下一個世代」實在強詞奪理 滑稽可笑
將一切歸為「負面遺產」 也太過馬馬虎虎
原子彈還是什麼的都一樣
不想要的東西就要說不要
對顏色沒有涵養的美意識
比四處都有的雞糞還不值
你 你是否是
曾經在這個國家 展開靛青翅膀的鳥

如果「貧困是暴力」 那無知也是暴力 悔恨也是暴力
如果「貧困是暴力」 那無知也是暴力 悔恨也是暴力


*第三段之後為311大地震後追加