2013年12月21日 星期六

[音]井戸の中で神様が泣いていた


詞曲:友川カズキ

1:井戸の中で神様が泣いていた
2:絵の具の空

「井戸の中で神様がないていた」

鬼の首には 血のりの輪っか
くすんで干し花のように巻かれてた
風があの時 孕んだものは
憎悪の空と嗚咽の根っこ
喉をみたそうと つるべを落としたら
井戸の中で神様が ないていた

あらゆる価値が壊れればいいと
壊してやりたいと念じてはいる
退屈なるもの 整然なるもの
血の失せたもの 終末なるもの
時に場所に はるかなる朝に
井戸の中で神様が ないていた

雪が降る降る悔恨の肩に
死せし者に 生くる者に
いかほどの余地も ないのだから
肚を決めて 立つしかない
音のとぎれた罪人の背中に
井戸の中で神様が ないていた


「井裡有神在哭泣」

鬼頸上一圈黏糊血輪
像凋謝的花默默纏著
那時的風孕育著
仇恨的天與嗚咽的根
喉頭滿溢吊桶直落*
井裡有神在哭泣

各式的價值崩壞也好
破壞的念頭一直都在
在寂寞的有秩序的
無血色的已完結的
此時此地遙遠的早晨
井裡有神在哭泣

雪飄降在悔恨肩頭
在逝者上 在生者上
已經沒有多少餘地
僅能帶著覺悟挺立
在中斷樂聲的罪人後背
井裡有神在哭泣


*指夕陽

2013年12月20日 星期五

[畫]青空0203


畫:友川かずき(Tomokawa Kazuki)
文:立松和平
譯:橙子

小小的我,头顶着大大的青空,故事就发生在那个时代。

我家院子角落里有个从地底冒水的洞眼儿,我喜欢看大家纷纷聚来打水。幼小的我有时坐在门口走廊上,有时站在杂草丛生的院子里。

只要呆在自家院子里就能认识附近的人。有的人顾虑着小心算好水量,也有的人满满打上两桶,一左一右,一步一洒。

2013年12月17日 星期二

[文]粉红小电影什么的


文:橙子

「粉红小电影什么的」

终于看到了友川カズキ当年主演的粉红小电影……(你到底在想什么!)
可是imdb没有条目硬要豆娘加这种片好像不太好呢就在这里记一笔……

话说今天看杂志采访才知道片名「修羅の門~若妻人質性拷問~」,有没有很诱惑!(哪有!)

随便一google居然就有付费下载……然后这个网站好麻烦总之经历了千辛万苦才把800日元花出去……

开头确实很a的样子,但是我注意到完全没有干货!av观影经验几近于0的人都可以看出来全是可以借位的活塞运动!然后突然画面停止,大字体片名打出来!这是要进入正轨了吗!

……嗯,变成了社会片……

确实穷凶极恶的捏胸特写和借位活塞运动的镜头稍微多了些,但基本上就是个社会片!

讲一个只会打女人见到男人就低声下气的废柴,因为太废丢了工作又被女人甩,然后拿了把刀冲马路上报复社会的故事……

总之,从头到底都巧妙地避开了(剪掉了?)所有下半身正面镜头……

幸好没买1980日元的高清!

但是!友川意外有演技呢!跟三岛有一拼呢!(咦?)

最后,根据采访,这片本来是找泉谷しげる还是谁的,因为人家出价太高才屈尊找了友川呢……反正他只要一点点钱就啥都可以了……嗯……?


(註:以下精采截圖與解說略)
(註:插入曲是友川與石塚俊明菊池雅志合奏的「鬼の子守」與不知名即興曲)

2013年12月16日 星期一

[音]汚れつちまつた悲しみに


詩:中原中也 曲:友川カズキ
譯:橙子

「汚れつちまつた悲しみに」

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる


「脏掉的悲伤」

脏掉的悲伤之上
今天也落着小雪
脏掉的悲伤之上
今天也冷风肆虐

脏掉的悲伤
像一张狐狸毛皮
脏掉的悲伤
在小雪中瑟缩

脏掉的悲伤
无所期望无所求
脏掉的悲伤
倦怠中梦着死亡

脏掉的悲伤
惨痛退缩
脏掉的悲伤
无事可为日渐西沉

2013年12月15日 星期日

[音]湖上


詩:中原中也 曲:友川カズキ
譯:橙子

「湖上」

ポッカリ月が出ましたら
舟を浮べて出掛けませう
波はヒタヒタ打つでせう
風も少しはあるでせう

沖に出たらば暗いでせう
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう
――あなたの言葉の杜切れ間を

月は聴き耳立てるでせう
すこしは降りても来るでせう
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう

あなたはなほも 語るでせう
よしないことや拗言や
洩らさず私は聴くでせう
――けれど漕ぐ手はやめないで

ポッカリ月が出ましたら
舟を浮べて出掛けませう
波はヒタヒタ打つでせう
風も少しはあるでせう


「湖上」

月亮一升起
我们就去湖上划船吧
会有波浪拍打船舷
会有微风轻轻吹过

划至深处天色更暗
船桨滴落的水声
听起来像是呢喃
在你谈话的间隙

月亮会竖起耳朵
略微往下降吧
我们接吻时
月亮正悬在头顶吧

你会聊得更多
从闲谈到抱怨
我一一听着
划桨的手却不会停

月亮一升起
我们就去湖上划船吧
会有波浪拍打船舷
会有微风轻轻吹过

2013年12月14日 星期六

[詩]朝の骨_ある自画像

form : 朝の骨 18/19

「ある自画像」

エゴンシーレの自画像には
空の年輪がくっきりと透けて見える
緊張の孤独に歪められた重い道が見える

それが時おり
ぞっとする位ニヤついたりするから可笑しい

腹いたの時にでも描いたろうその顔に
町でたまに出くわす
何も黙って通りすごすのだが
帰って来て
自分がその顔になっているのに気付く

塗り変えようと考えた時には
すでにそれは
いつものように
壁に画鋲で斜めにとめられているのだ

エゴンシーレの自画像には
空の年輪がくきっりと透けて見える
緊張の孤独に歪められた重い道が見える

うちなる棘が
何かしら
突出の機を真剣に窺っている


「那自畫像」

在Egon Schiele的自畫像裡
透視出清楚的天空年輪
扭曲的緊張孤獨的沉重道路

處在那時空
對像被嚇到的毛骨悚然感到可笑

肚子痛時強迫自己去畫的臉
像在街道偶遇
什麼也不說的走過的人
回到家後
發現自己就是那樣的一張臉

考慮著是否要塗掉修改時
已經無法改變
如同往常
在牆上的圖釘已經傾斜鎖死

在Egon Schiele的自畫像裡
透視出清楚的天空年輪
扭曲的緊張孤獨的沉重道路

在體內的棘刺
說不準是什麼
趁突出時認真的窺視

2013年12月13日 星期五

[音]続・ボーする日(ヘルペスとのただかい)


詞曲:友川カズキ

「続・ボーする日(ヘルペスとのただかい)」

脳味噌もカラダも脆弱ときた
運気の兆しもさっぱりだ
さなり一番 でたとこ勝負だ

顔面がバスキアの絵のようだ
言葉が「イ」がもどかしい
アイ イイイ ウエオ

歌にぶつかって砕ける
こなごなに散りゆく勘違い
その勘違いが好き

魂も何も 抜けちゃって
トウフのネコマンマ片手に
マラソンを見ていた

血管の中を のぼり来る
全速力の我がバカは
メダカの学校の生徒さん

行くことも戻ることも やめちゃって
ただただここに居るべし
とどまりてここに居るべし

マラソンはいよいよ 佳境に入る
私はいよいよ虫の息
メダカの目もなくボーボー

ドンドンドアを
叩いてる
誰かが訪ねて来たようだ
三日続きの幻聴だ

ケムリもアルコールも打っちゃって
酔いなき ざれ者の句読点
君よ貧しき使者よとっとと来やがれ

まぼろしのまゆ玉に憑依され
うつつを抜かすこともおぼつかぬ
秒針のようにパチパチと愚鈍をする

今や遅しと走り来る敵
姿も手の内も見えねども
そん時やこちとら
スリーポイントシュートだ


「持續茫然的日子(鏖戰疱疹病毒)」

腦袋肉體開始衰弱
運氣萌發毫無起色
還是得聽天由命分勝負

顏面像巴斯奇亞的畫
唸著「イ」讓人不耐煩
アイ イイイ ウエオ

用歌曲來擊成碎片
飛散成粉狀的錯覺
喜歡這種錯覺

魂魄啥的全都出竅
單手捧著豆腐貓飯
眼前是一場馬拉松

在血管中攀升竄高
開全速的我是笨蛋
稻田魚學校的菜雞

前進不得後退不能
只能給我待在這裡
不得動彈待在這裡

馬拉松終於進入高潮
我也已經氣若游絲
稻田魚眼睛消失茫茫然

門咚咚地
在敲打著
是誰來訪
已連續幻聽三天

跟煙與酒精說再見
醉到又哭又鬧的末路
你貧困使者快滾過來

被幻影的繭玉附身
連魂不守舍都沒把握
秒針滴答滴答著的呆頭

迫不及待敵人奔來
尚未見其身影掌心
當下咱是個
三分球射手

2013年12月12日 星期四

[音]空


詞曲:友川カズキ

from:朝の骨 62/63

「空」

空にあるのは 鳥の声
生きてあるかの如く
絶える間もなく にぎにぎと
そこだけが真実ではあるのだが
真実ではあるのだが
真実ではあるのだが

食卓に白魚のある朝
ドブロクもろとも いざ天へ
子らは愉しげに 駆けまわり
風にグミの木が搖れていた
グミの木が搖れていた
グミの木が搖れていた

気の長い芝居を見てたような
苛立ちも30年あるんだが
さりとて寄る辺のない身に
夢だけが壊わたまま立ちんぼう
壊わたまま立ちんぼう
壊わたまま立ちんぼう


「天空」

天空中有鳥叫聲
像是還活蹦亂跳
嘰嘰喳喳很快消失
在那邊還有真實
還有真實
還有真實

早晨餐桌有白魚
與濁酒相伴朝天去
孩子們快樂的亂竄
風中茱萸樹在搖曳
茱萸樹在搖曳
茱萸樹在搖曳

像在看悠哉的戲劇
為此已著急三十年
然而沒什麼可以依靠的我
夢只是站著發呆持續崩壞
站著發呆持續崩壞
站著發呆持續崩壞

2013年12月11日 星期三

[音]ワルツ


詩曲:友川カズキ

「ワルツ」

流れてそして君 
ボロボロになるのだや君
夢は はてなく宙舞い 
雲みたいに漠々とあるのだや
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ

晒すのは恥しかない 
ありのままあらん限り
血肉とて いつかは 
皮膚を出て不明になるのだや
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ

切なさを生きて君 
前向きになるのだや君
物語は らせんに 
この世からあの世へとかけのぼる
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ

冬空をけちらして君 
いざり来る 春もまたある
春雷に 御身を君 
遊ばせて きっと復讐産むのだや
生きても 生きてもワルツ 
死んでも 死んでもワルツ
出会いも 出会いもワルツ 
別れも 別れもワルツ


「華爾滋」

妳流淌著
滾滾落下
夢舞在無垠宇宙
如雲般廣漠無涯
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

就只是顧著出醜
將羞恥全然傾出
反正血與肉早晚會
冒出皮膚不知去向
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

痛苦的活著的妳
已經積極往前了
話語也順著螺旋
從這世攀登去來世
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

驅趕走冬空
又瘸著爬來的春
春雷下將妳如此
玩弄撫摸 必生仇意
活著 活著 跳華爾滋
死去 死去 跳華爾滋
相遇 相遇 跳華爾滋
別離 別離 跳華爾滋

2013年12月10日 星期二

[音]一人ぼっちは絵描きになる


詞曲:友川カズキ

「一人ぼっちは絵描きになる」

光の粉をまぶしたように
フランスの丘という丘が
淡いオレンジに輝いているのは
ポールセザンヌのせいである

破戒なのか革命なのか
関節のゴツゴツした音は
たまげた構図の中で休む
エゴンシーレは誰なのか

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる

むろん正気などではありはせぬ
赤いガランス内なるデカダン
村山槐多 思いし夜は
何ためらうことなく殘酷になる

覚悟などとるに足らぬのだ
いつか君に励まされた
長谷川利行 さみしかないか
今日のメシはさみしかないか

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる

確かなものなぞ何ひとつない
人とて詮ない肉片なり
フランシスベーコンはるかなりけり
いつかおぼろげなハグをした

軽きに空をちぎって見せる
パウルグレーの欲深き指は
甘美な鳥の爪跡か
名も無き民の暗号か

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる

台風が好きだった
黄色いパレット カタカタ鳴らせば
越年の雪の小窓で揺れる
関根正二あなたでしたか

砂浜に輪になって踊る
園児等は月の宿した子供だ
黄金の鳥に赤いリボン結び
中村彝がやって来た

一人ぼっちは絵描きになる
一人ぼっちは絵描きになる


「孤零零時會變畫家」

猶如塗滿了亮粉
不正是法國的山丘
散著淡橘色的光輝
都是Paul Cézanne的錯

是在破戒還是革命
關節在劈哩啪啦響
噬人魂魄的構圖中休息
Egon Schiele你是誰

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

神智當然一點也不正常
內在是紅茜色的頹廢派
村山槐多所思慮的夜
毫不猶豫的殘酷襲來

持有的覺悟還是不足
曾經這樣被你激勵著
長谷川利行 你寂寞嗎
今天吃飯會寂寞嗎

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

能確定的事為何都沒有
人在束手無策時是俎肉
Francis Bacon在遙遠的過去
曾經給出朦朧的擁抱

輕快地將天空碎成萬段
Paul Klee的貪婪手指
是甜蜜鳥兒的爪痕
還是無名人類的暗號

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

是喜歡颱風嗎
黃色調色盤咔噠咔噠響
過年降雪小窗搖晃
關根正二就是你吧

沙灘上圍成圈跳舞
幼兒們是月亮的孩子
黃金鳥打著紅色蝴蝶結
中村彝駕到

孤零零時會變畫家
孤零零時會變畫家

2013年12月9日 星期一

[音]水には映らない


詞曲:友川カズキ

「水には映らない」

村の小さな天才たち
あんぐりとした喉に突き刺さった
ぬかニシンの小骨のヒラヒラ
何もかもゆっくりとさみだれていく今日
今すぐ 私をみて
タンポポの葉じゃ 駄目だってば

まさぐるものは言葉とて同じ
危うさにだけ すぐ手が動く
生は 長い外出
死んだところで戻った事にはならぬ
ただ一個 なくなるだけ
タンポポの葉じゃ 駄目だってば

あらかじめ約されてでもいたのか
重さのない空をいくつもかかえて
花の何に急ぐというのか
晴れわたったもののそこかしこに
呪縛の神が映ってる
タンポポの葉じゃ 駄目だってば


「水映照不出」

村裡的小天才們
刺卡喉嚨大張其口
米糠漬鯡魚的翩翩小骨頭
整個放緩綿綿梅雨的今日
很快的 我看見了我
蒲公英的葉 卻看不見

摸索跟言語沒有兩樣
有危機感才有所行動
生命是 長久的外出
死在某處就不會歸來
只有一個例外
蒲公英的葉 必會歸來

是早就約定好的嗎
一起輕盈地擁抱天空
花兒啊你是在急什麼
天空放晴到處都是
咒縛的神被映照出
蒲公英的葉 映照不出

2013年12月8日 星期日

[音]家出青年


詞曲:友川カズキ

「家出青年」

春花に身をかがめて行った
時間達は虚ろに
俺の影に積み重ねられて行った
家出青年の背中は新しい腫れあがって行った
蒲団にもぐる時「このままでええや」思った
蒲団を蹴る時「このままじゃ駄目だ」思った
目をつむり乍ら走り去るあの煩わしさは
すべて遠い春の日の少年の骨の中だ
かかかかかかかか……

雪道に自分の可笑しさを並べて行った
次々と苦渋が濡れたままの姿で
いちころになった
家出青年の希望はドブ河を
チャプチャプ海へ泳いで行った
蒲団にもぐる時「このままでええや」思った
蒲団を蹴る時「このままじゃ駄目だ」思った
楽しさにまぎれて散ってゆく
赤いうらめしの花
それでも手配された人達は
怒りの気球を打ち上げた
かかかかかかかか……

にぎやかな
音ばやしの中にいた
地を這う孤絶の中にいた
家出青年のまぶたは
虚心にまみれて行った
蒲団にもぐる時「このままでええや」思った
蒲団を蹴る時「このままじゃ駄目だ」思った
目をつむり乍ら走り去るあの煩わしさは
すべて遠い春の日の少年の骨の中だ
かかかかかかかか……

最なる時のさなかにあって
人どちは皆一樣 寒立馬である
寒げな淋しげな風である
「次世代のため」なぞと言うから 滑稽になっちまう
「負の遺産」なぞと括るから たいがいになっちまう
原爆だろうと何だろうと
イヤなモノはイヤだと声を成せばいい
色素のない奥ゆかしき美意識なぞ
そんじょそこらの ニワトリのフンですらない
君よ 君よもしや
かつてこの国には まっ青な翼の鳥がいた

「貧困が暴力」なら 無知も暴力である 悔しき暴力である
「貧困が暴力」なら 無知も暴力である 悔しき暴力である


「離家青年」

春天花朵裡屈折著身前進
空虛的時間們裡
被自己積的影子壓著前進
離家青年背著新腫塊前進
鑽進被子 想著「這樣下去也好」
踢開被子 想著「這樣下去可不行」
閉上眼想逃離這類煩雜
全在遙遠春天裡的那少年骨頭中
咔咔咔咔咔咔咔咔......

雪道上與自己的可笑並行
接連被苦澀浸濕的身姿
萎靡易挫一擊就垮
離家青年的願望是在水溝裡
朝著嘩啦啦的海水游去
鑽進被子 想著「這樣下去也好」
踢開被子 想著「這樣下去可不行」
快樂地紛亂飛散
帶著恨意的紅花
被通緝的人們還是
將憤怒的氣球往上擊打
咔咔咔咔咔咔咔咔......

熱鬧非凡哪
在囃子樂聲中
在底層生活的孤絕中
離家青年的眼皮
滿佈著虛心前進
鑽進被子 想著「這樣下去也好」
踢開被子 想著「這樣下去可不行」
閉上眼想逃離這類煩雜
全在遙遠春天裡的那少年骨頭中
咔咔咔咔咔咔咔咔......

在這最關鍵的中心時刻
不分你我每個人都是 寒立馬
處在寒冷荒涼的風中
「為了下一個世代」實在強詞奪理 滑稽可笑
將一切歸為「負面遺產」 也太過馬馬虎虎
原子彈還是什麼的都一樣
不想要的東西就要說不要
對顏色沒有涵養的美意識
比四處都有的雞糞還不值
你 你是否是
曾經在這個國家 展開靛青翅膀的鳥

如果「貧困是暴力」 那無知也是暴力 悔恨也是暴力
如果「貧困是暴力」 那無知也是暴力 悔恨也是暴力


*第三段之後為311大地震後追加

2013年11月25日 星期一

2013年11月24日 星期日

[詩]地の獨奏_17

from : 地の獨奏 79/83

三十三の血の混乱の朝は
性なる自転のたくらみにも似て
やって来て
苛立ち紛れに
次から次と
私の渾沌の表皮を
あばき
その根を
引っこ抜いてゆく
飛び散った言語の中で私は目覚め
それらの悲鳴を隅に追いやり
白茶けた
孤独の
窓を開け放つ

清々しい大気に
睡魔の殘像が
ゆぅくりとほどけてゆく
それらの精根は
型枠のように私から外れ
天にも昇る
地にも降りる

私は
手すりに手をかけ
何の感慨もなく
それを見送り
果てしなく
透過し続ける
サナギの夢を思惟した
<いいモノもわるいモノもダメだ>

私の内に
やるせない愛惜の情が
ヒタヒタと水のように
涌き
拡がり
寂寞と
充満する

私は
あてどのない
夜想は
夢の殻を脱ぎ
ふたたび
空への渇きと
地への愛憎を
狂おしいほどに
深々と
確認した


血液亂竄的三十三歲早晨
性情像自轉的陰謀
焦急且胡亂的襲來
狂暴地從我渾沌的表皮
一個接著一個
抽拔出根
在胡亂飛散的語言中我驚覺
那些被迫至角落的悲鳴
已經褪色
趕緊打開孤獨的窗

清新的大氣
讓睡魔的殘像
慢慢解開
他們的氣力
從模具一般的我身上溢出
升天
遁地


將手擱在扶手上
什麼感慨也沒有
目送著他們持續
沒有止盡的
滲透離開
沉浸在如蛹般的夢
<好的壞的通通沒用>

我的內心
悶悶不樂惋惜的感情
像輕拍打著的水
湧出
渲染
寂寞
填滿


沒什麼目標
夜裡空想著
脫去夢的外殼
再次將
眺望天空的渴望
面對地面的愛恨
發了瘋似的
深深
確認

2013年11月23日 星期六

[音]夢のラップもういちょう


詞曲:友川カズキ

「夢のラップもういちょう」

あの人もいい人だった
やれこの人もいい人だった
それは口をぬぐうように楽ではあるが
そのウラもまたあることで
ウラはウラであいまいで重く
家のない家路を急ぐようなもの
降りつむ雪の花に刃を向けるようなもの

オーイ 夢のラップもういちょう 
さあ夢のラップもういちょう

あれは武雄の競輪場
鼻のアタマにアイスクリームをつけて
地面とも新聞とも一体化した老人
あれは花月園の競輪場
お前のヨミは全然違うじゃないかと
こずき合う白髮のご両人
流れ流れ辿り着いた消えて久しい村まつり

オーイ 夢のラップもういちょう 
さあ夢のラップもういちょう

夢ふたたび教えてくれたのは
ディランでもスプリングスティーンでもなく
朝もやを突いて走る滝沢正光
走ることでしかそがれていかないものの
沢山あることを知っている
滝沢正光様が走っている
あくがれゆく理由がそこかしこにある

オーイ 夢のラップもういちょう 
さあ夢のラップもういちょう

逃げろ 逃げろ 滝沢
逃げろ 逃げろ 滝沢

バカ者どもが
一体どういうつもりで大事な金を
ドブへ捨てるんだ
今 お前らの失くした金があれば
母ちゃんに新しいパンティ買ってやれるんだぞ
子供にバットもミットもグローブも買ってやれるんだ
ロクに調べもしないで 大事な金を
つまらんサイコロの目に賭けて失くすバカがあるか
車券は 外れることを恐がっちゃいけない
獲れる時は 一本で獲れ 判ったか!!
あれこれ迷うな
救われることを恐れちゃ いけない
救い ということは一つしかないんだ


「是夢也好再來一圈」

那是一個好人
唷這也是個好人
都懂舐嘴抹淨的樂趣
內心想必又出現
深沉曖昧的重量
急著回家不知家在何方
雪花降下迎面壘成白刃

喂 是夢也好再來一圈
嘿 是夢也好再來一圈

那是武雄競輪場
鼻頭沾到冰淇淋
地面與猜測站全是老人
那是花月園競輪場
與你的預想毫無二致
意氣相投的白髮兩人
終於找回消失已久的村祭典

喂 是夢也好再來一圈
嘿 是夢也好再來一圈

再一次教會我夢想的
不是狄倫也不是史普林斯汀
是在早晨衝刺著的瀧澤正光
單跑著該如何擺脫阻礙
我就能學到太多太多
瀧澤正光先生正跑著
憧憬崇拜的理由俯拾皆是

喂 是夢也好再來一圈
嘿 是夢也好再來一圈

逃啊 逃啊 瀧澤*
逃啊 逃啊 瀧澤

各位笨蛋們*
到底為什麼會將積攢的重要金錢
丟進水溝裡阿
現在 若能將失去的金錢復得
就能給媽媽買新內褲呦
給孩子買球棒與捕手手套與野球手套呦
沒有適當地檢查 才會將重要金錢
賭輸在那無聊的骰子點數上竟有這種笨蛋
別怕把競輪券賭輸掉
獲勝時就會一次全部贏回來 懂嗎!!
千萬別迷惘
膽顫心驚地想著獲救的事
獲救這回事 只能有一次


*競輪用語,意指先行選手一路衝到終點,沒被咬中
*後期追加,出自『競輪上人行状記』,2018年台北場有這段

2013年11月22日 星期五

[音]六月の雨


詩:中原中也 曲:友川カズキ

「六月の雨」

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらはれて 消えてゆく

たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる

お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます
畳の上で 遊びます

お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでゐれば 雨が降る
櫺子の外に 雨が降る
櫺子の外に 雨が降る


「六月的雨」

又一陣午前雨
菖蒲顏色綠油油
長臉女人噙著淚
出現之後又消失

出現之後又消失
沉浸憂鬱滴滴答
落在田上
直至遠方

敲打太鼓吹笛子
無邪孩子星期日
榻榻米上玩耍
榻榻米上玩耍

敲打太鼓吹笛子
玩著玩著在下雨
窗戶外正下著雨
窗戶外正下著雨

2013年11月21日 星期四

[音]また来ん春


詩:中原中也 曲:友川カズキ

「また来ん春」

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫といひ
鳥を見せても猫だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
角によつぽど惹かれてか

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが
此の世の光のたゞ中に


「春天會再來」

人們說春天會再來
但我卻異常痛苦
春天會來又怎樣
那孩子已不會回來

今年五月時
在動物園抱著你
看見大象你叫著喵
看見小鳥你叫著喵

最後帶你看鹿時
被雄偉的角迷住了嗎
不發一語眺望著
被雄偉的角迷住了嗎

那時你實實在在的
身處世間的光芒中
站立眺望著...
身處世間的光芒中

2013年11月20日 星期三

[音]海みたいな空だ


詞曲:友川カズキ

「海みたいな空だ」

海みたいな空だ
晴れあがった寒い空だ
何かが呻いている
晴れあがった寒い空だ

それは誰しものようだ
平淡にゆるやかではある
焦げて俯いてさえ
平淡にゆるやかではある

炎えたつ紅葉の山脈が
今しも絶対であったのか
母達の吐息のはかなさが
孤独な男の腕力が

赤子も父も母も
空に唇をあてて
黒いうたをひとつずつ
吹きあげては忘れ去るのだ

人がある国がある
のんきに錆びつくものがある
群れて許される顔に
目玉を投げつけてやる

そうだ友よ 愛しきものらは
あんなにヒョイと無防備に立っている
傷つき汚れてさえ
あんなにヒョイと無防備に立っている


「海一樣的天空」

海一樣的天空
晴朗十足的寒冷天空
在呻吟著什麼
晴朗十足的寒冷天空

那裡全部都
緩慢而平淡
俯視的焦烤亦
緩慢而平淡

紅葉如火的山脈
現在絕對還在吧
母親們的渺茫嘆息
孤獨男人的腕力

嬰兒父親母親
嘴唇貼著天空
黑暗的歌一首接一首
吹散得一乾二淨

人也好國家也好
安閒長銹的事物也好
對成群求原諒的臉孔
投向目光

朋友啊可愛的你們
這樣突地無防備站著
即使受了傷弄了髒
這樣突地無防備站著

2013年11月19日 星期二

2013年11月18日 星期一

[詩]吹雪の海に黑豹が_永久少年宣言

from:吹雪の海に黑豹が 88/92

「永久少年宣言」

左の顔
忌まわしい左半分の顔
盥の月に宥められて
右腕がとんだ!

生家の事までが夜だ
黒い雲がどんぶりに勘定されさらわれた
俺からは夜は明けない
記述でしか色は持てない
だからとて
急ぐ程の胸はない
遠くからきこえるうただけが
はじめてのうただ

草木のなおざりは
今に始まった事じゃない
優しくなれなければ嘘だ
光るんだから足首は怖い
白笑いが血を噴いた
詩を書こうとする事を詩にした
夢を盗視した女がテレビに出た
嘘を公的に埋葬してしまう為に
涙までがスコップに変わった
まっ直ぐたっている少年の殘念な白い頬の動静が気になり始めた

俺の周囲を赤いボートで漕ぎ回る犬
犬じゃなく肉親だと気付いた時は青いボートだった
それは見た記憶があるぞ
やたらと低い屋根から貧困が零れ
そばに学者面した八つ手の木があった
兄達の幻影は憎悪の念の出発点だ
車椅子に乗って架空索道を通る精神のチエ!
何も汚れてもいいだろう
ランドセル風景は公に殺られた
つまらぬ画一化のクソくらえ!
自分の名前を言う事の気恥かしい軽さとそれを肉体化して行こうとする
無意味さを好もう

恨めしい絵を沢山股に挾んで走る
毒は大切なモノだ
はずみにしたって洗い流しちゃいけない
群盗のみえすいた毒とは毒が違う!

老いて河は新しいようになり
またしても地図はガツンと撃たれたのだ
兜虫の来る柳は無惨に笑いおちた
八竜の空は青いにしても
それを見上げる顔は険しくなる一方だ
大根を洗う祖母の手が時間に怯えた
自分の内へ帰省すればいいんだ


「永久少年宣言」

左邊的臉
讓人生厭的左半邊
被盆裡的月亮潤飾
右腕飛呀!

老家總是都黑夜
烏雲隨便你攫取
我看是不會天明了
僅能靠載記認顏色
所以
從不會想加快腳步
僅遠處傳來的聲
是初次聽聞的曲

草木的忽視
以前就如此
無法溫柔是騙人吧
陽光太強軟腳了齁
輕蔑笑著噴出了血
寫詩讓事物都詩化
窺夢的女人在電視上
為了公然埋葬謊言吧
邊流著淚邊變成圓鍬
少年直挺站立開始在意悲淒白頰

狗乘著紅色小船在周圍旋轉
驚覺載著至親的是藍色小船
都是歷歷在目的記憶喲
屋簷隨意低垂貧窮滿溢
在旁的是學者嘴臉的八角金盤
兄長們的幻影是厭憎發出源頭
坐輪椅經架空索道過精神層巒!
是有多骯髒已無所謂
私囊光景被公然撲殺
沒有價值的齊一回嗆!
說出名字的含羞之輕並表面化
喜愛這種無意義

悔恨的畫都夾在屁股跑
一種重要的毒
興致一來可要牢牢抓住
看透了盜賊毒就不是毒害

老河流變年輕活跳
地圖又被砰的一聲痛擊
甲蟲讓柳樹慘笑著下垂
八竜村的天藍藍
抬頭臉色卻陰沉
祖母洗蘿蔔的的手隨時間變膽怯
還能朝著自己心內歸鄉該有多好

2013年11月17日 星期日

[圖]花之罪放映會



有燈塔 在海邊
乘客陸續進來一艘不停的列車

深夜 播報音量擾人清夢
微明 啟動速度令人擔憂

最後一班南下列車
莒光是他可笑的名字
是八十六還是六十八

讓人最害怕的是睡過頭
讓人最不安的是輾轉難眠
讓人酒醒的是熟悉的建築
讓人眼明的是燈座的排列

離全世界最好吃的雞肉飯
越來越近

2013/12/08

2013年11月16日 星期六

[文]天穴の風_兎の天敵

from:「天穴の風」 71/73
譯:橙子

「兔子的天敌」

今天是一月一日。

也不是编辑要求正月初一写东西,
只是在工作室絮叨着絮叨着就快到了截稿日,
抽出稿纸刚好是元旦。

现在这会儿,我的故乡秋田八竜那边,
应该是被大雪完全覆盖了吧,
风雪肆虐的奥羽群山中,除了狂傲的风声,
野兽之类声响全无,一切归于寂静。

听说今年冬天的雪比往年都多。

说到雪,我每年有两三回,也不限于冬天,会做噩梦。

梦里被兔子包围,那是我小学五六年级时候的事。

当年周围的小孩,大多会养信鸽或者兔子。

我是两种都养,最多的时候光是能下崽的成年兔就养了二十只。

早晚喂食量很大,弟弟还有附近一起玩儿的朋友也会帮忙。

原本家里就是农民,门前的田里和田边小道上,
零散菜叶、苜蓿、艾蒿、车前草,
要多少有多少,不费什么事,
但冬天就不一样了。

刚开始下雪时,
靠田里的菜叶和厨房的厨余多少还是能收到些,
但需要的量太大,供不足,
渐渐地,兔子们就衰弱下去,一只两只地死掉了。

土豆倒多得很,
但兔子吃多了会胀气而死,
瞒着家里人偷偷地喂萝卜干和精制前的稻谷,
可是毕竟有限,兔子还是在一只两只地死去。

因为常常受到猫的威胁,养信鸽和兔子的小孩都把猫视为天敌,
但对我家的兔子来说,天敌无疑就是我。

记得最后能活着撑过冬天的,只有六七只。

喂给它们的饲料量只是为了不让它们慢慢死去,或者说根本不够活命。
有一天,一只兔子喀嚓喀嚓啃起了木箱,
刚喂好稻谷,打开盖子就一跃而出。

过了一阵,
发现它在外面走廊地板下安了家,
就喂些菜叶稻谷给它,
但它对我充满警惕,并不靠近,
眼睛盯着我,风卷残云一扫而空。

不知它吃完后都去哪儿,
但每天在同一个地方摆上饲料,
总会被它吃个精光,就这样过了几天。
有一天再悄悄跑去看,却发现饲料没动过,
心里“啊”了一声,第二天再去,还是原样。

箱子里死去的兔子,就从门前三種川的河堤扔下去。

皮包骨头的兔子发出难以形容的“叭叽”一声,
顺流而下漂向八郎潟。

噩梦里,
自始至终都是我“必须想法找饲料”的焦虑和兔子怨恨的目光,
但不知何处一定会响起那“叭叽”一声。

开始画画是六年前,画的都是兔子,
到现在可能已经画了五百多只。
当然这不算什么,
但画着画着有时就会产生幻觉,
好像走廊地板下那只兔子正从身后接近,
要一口咬死我。

要说狂想曲,只是我太过愚蠢的冬天回忆。

东京偶尔下雪时,我也会有一瞬间的幻觉,
仿佛时光倒转,雪灵乘着三種川的风现身,
肩上站着当年那些兔子,一齐看过来,
露出利齿,缓缓地用眼睛诅咒我。

2013年11月15日 星期五

[詩]吹雪の海に黑豹が_雨

from:吹雪の海に黑豹が 22/23

「雨」

ボヤッとしていたのは
一時間だけではない
四畳半の隅で俺は
きっと
とけていたのだ

本屋で俺は
インクの匂いを嗅ぎ乍ら
ずっと
そのことばかり思っていた

帰りがけになって
雨が気狂いみたいに降りだした


「雨」

迷迷糊糊的
超過一小時
四疊半的角落邊
我一定
在融化

我在書店裡
聞著墨水味
一直
在意這件事

回家路上
雨發瘋似的落下

2013年11月14日 星期四

[文]花々の過失:不以傳奇的身姿

from:xenodochium

「最大的夢想?就是把唱歌的事放一邊,每天專心去賭競輪。」

作為一部紀錄片,要說《花々の過失》到底拍了什麼,過了三天也想不太起來。只記得一些片段零落的親友訪談,然後友川拿起酒杯彈著吉他,賭著競輪撕掉彩票。短短兩個月不到的拍攝時間,並沒有記下友川創作生涯中的哪個時刻,那種「搖滾樂在那一夜失去了童貞」的時刻,有的只是日常生活積下的渣滓。

對於想要當成傳記一樣認識友川的觀眾,這可能是背離期待的吧。但是看的時候卻是徹徹底底被這部紀錄片撞擊的。那像是說,除了你早已聽過許多次的曲子,那些把心臟咳出來的歌,或許正是這些看起來無關的畫面,這些百無聊賴又無比誠實的日子,地鐵、街景、單車競輪場,才構成了友川。對於友川カズキ,從來就沒有什麼搖滾傳記裡決定性的一刻。

那或許就是我們一直在P.S.F.的唱片裡尋找的,他們不是在革命的旗幟下捲席時代風暴的樂手,而是在那未曾到來的決定性時刻逝去之後,在鬥爭凋萎,一切被高速經濟成長、國民所得倍增計畫掩蓋之際,背對這些建制,過起了自己的生活。不像Bob Dylan、John Lennon、Jim Morrison,友川カズキ、灰野敬二、阿部薰這些名字,如果在我們心中具備某種傳奇的位置,那是因為他們從來不以傳奇的身姿存在。

不再有烏托邦的革命幻想,也不曾在主流吸納次文化的潮流中卡位,就像阿瑋說的,友川總給人走在青春的延長線上的印象,但是對於在這三四十年走過的他們來說,這樣延長的青春並不具備特權。沒有可以用來高舉的夢想,也沒有轉身妥協的餘地,「作一個法外之徒,你得比其他人更誠實。」那便是為什麼,那決絕聲音裡頭的生命是那麼強韌,那並不只是活著的意志,而是即使是看似不羈不問的人生,仍然可以繼續下去,仍然可以選擇這樣活下去。

然後當霧散了泡沫破了,停滯的十年轉眼變成二十年,一億總中流終於玉碎,遠山金次郎換了西裝演出銀行時代劇,活在建制之外是派遣工的普遍而不是背棄成功之梯的抉擇,這些看似邊緣廢業的歌曲,便像是為了遲到的當下而作。銀幕上投射出的日常景象,一直都在某處,只是被高樓的影子遮住而已。而那從牆縫裡長出的野草,就像大旺說的昭和年間的氣味,深深地扎進250萬一坪的地面,讓水泥碎塊露出非關時代的時代感,不像日本的日本樣子。

2013年11月13日 星期三

[圖]及位覚

from:及位覚 遺稿詩集

2013年11月12日 星期二

[畫]旅打ち



到店以前 買了兩個豬小排便當
一碗虱目魚肚湯 一顆滷魚頭
雨快滲到座墊裡 地上躺著十元硬幣

蕁麻疹落在妳身上 強迫著妳吃這些
幼時的夢靨 刺搖晃著望著醫生

走進店裡 栗子樹旁的黑狗嚙笑
用之不盡的飲料店傳單 鋪滿桌上
盒裡多了一份筍絲──美麗的錯誤
吆暍妳關掉小野麗莎 家出青年響徹雲霄

出來店外 滿嘴菸味的說我要走了
掀開簾子 進去廁所 放下馬桶蓋
洗手台上有啤酒跟魚頭

打開張執浩──你們是夫妻 我們是情侶
在中野狂飲暢笑 賊眼斜忒

啤酒不再冒泡 時間為何停止
咖咖咖咖 咖咖咖咖
簾外傳進了夜來香

2013/12/15

2013年11月9日 星期六

[音]生きてるって言ってみろ


詞曲:友川カズキ 譯:黃大旺

「生きてるって言ってみろ」

ビッショリ汚れた手拭いを
腰に結わえてトボトボと
死人でもあるまいに
自分の家の前で立ち止まり
覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいに
生きてるって言ってみろ

夢と現実ぶらさげて
涙と孤独を相棒に
コケシでもあるまいに
長髪マンネリいさぎ良さ
根っこの太さはどこへやら
墓石でもあるまいに
生きてるって言ってみろ

不幸なツラして宙をかむ
ただれたカラダでジャンプする
ガイコツでもあるまいに
まっ黒にしなびたおしゃベリと
短かくつないだ命だけ
泥水でもあるまいに
生きてるって言ってみろ

衣裳をこらして街をゆく
ベタベタ化粧は誰のため
文化財でもあるまいに
ほお杖うつぶせ千鳥足
泣きっ面うしろ向きバカ騒ぎ
スズメでもあるまいに
生きてるって言ってみろ


「說阿 你還活著」

骯髒的手巾溼答答
掛在腰上無精打采
你又不是行屍走肉
在自己的家門前停下腳步
下定決心推開家門
你眼前的又不是地獄
有種說說看你還活著

身上垂掛夢與現實
與眼淚和孤獨為伴
你又不是木雕娃娃
長髮飄逸故作颯爽
根性雄厚去向何方
你又不是一塊墓碑
有種說說看你還活著

面對不幸向天空張牙舞爪
撐起糜爛的身體跳躍
你又不是骷髏
既黑又毒的言談
和短暫銜接的命是你的一切
你又不是地上的爛泥
有種說說看你還活著

衣冠楚楚走在街上
濃妝豔抹為了誰
你又不是文化財
一手托腮步履蹣跚
哭著臉往後看胡鬧一通
你又不是小麻雀
有種說說看你還活著

2013年11月8日 星期五

[詩]及位覚_盲腸の里

from:及位覚 遺稿詩集 24/26
翻譯:橙子

「盲腸の里」

私は私を追いかけていた
呻く茫漠の盲腸の里へ
ザーメン吐き出し
私は私を追いかけていた

何時なのか
溶けて蒸発して夢はなくなっていた
私は自分は風景なのだと思えた
そしてその度胸でケモノのだらしない大声をあげ
孤独の土地を意識のなくなるまで走りまわった
そこの死は笑わなかった
暗いのに気づかない闇だった
湿りも温みもない空気は体を浸し
私の中にしみてきた
愛は人の中にあるのだろうか
私は愛の屍をみたことがない
風景である私を太陽はかくし
光は心臟へ届こうとする
おびただしい小鳥の群れを舞いそらしながら
私は涙をこらえるのに疲れる
風景の流す涙は金属だった
消耗は私を眠らせ
絶望は貪欲を助け
ユードピアは切ない人の空想の極貧だと知った
肉体の連れ子のような
私の追いかけているのが
私だったのは知っている


「盲腸之內」

我追趕着我
追向呻吟中的茫漠盲腸
吐出精液
我追趕着我

不知何時
夢溶解蒸發消失不見
我覺得自己是一片風景
以風景的勇氣發出動物的嘶吼
奔跑在孤獨的土地上直至失去意識
死亡沒有笑
那是感覺不到黑暗的黑暗
没有濕度也没有溫度的空氣浸沒全身
滲入我體内
愛存在於人之中嗎
我從未見過愛的屍體
太陽遮掩著我這片風景
光竭力射向心臟
驅趕著成群的小鳥
我已無力再抑制眼淚
風景流下的淚是金屬
疲憊讓我困倦
絕望助長貪慾
我知道
烏托邦是痛苦者極度貧乏的空想
我知道
彷彿被肉體牽引著
我追趕著的
是我

2013年11月7日 星期四

[文]友川カズキ(Tomokawa Kazuki)

友川かずき(按:2004年改為友川カズキ只是感覺かずき太陰柔),本名及位典司。1950年2月16日生於日本東北秋田縣山本郡八竜村(按:現在的三種町),與務農的祖父母共住。家有四男:長男一清、二男典司、三男覚、四男友春。以競輪評論家、酒豪、演員、畫家、詩人、歌手著稱。其三弟及位覚為頹廢派詩人。友川幼時因為討厭唸書加入野球部,因為球隊很弱,印象中從沒贏過任何球賽。有一次在割餵兔的草時不小心把弟弟及位覚的阿基里斯腱砍斷,在那約50天的破傷風時期及位覚開始寫作(按:及位覚於1984年於大阪跳軌自殺身亡)。

――您現在對秋田還有感覺嗎?
到19歲之前的應該是還有吧。看到鄉間的食物還是很興奮。粉絲拿來的醃漬食物會吃的叭哩趴哩叫。這真的是逃離不了的感覺。
――那麼您的原風景是?
秋田。八郎潟…現在景象來了。冬天的蘆葦在湖岸邊搖著,波浪沙沙地打著。雪就突然降下來了,霰也一個接著一個。然後天空暗了下來…那是我忘不了的。(下略)
――已經60歲的您有想要回故鄉嗎?
沒有
(東北のアート情報誌_北風vol7 2011年)




該做什麼好 完全沒頭緒
轉轉眼珠彈出來拍拍看
唉 已經過了六十歲
面對種種荒唐 感到厭惡

像漂在三種川的
Kewpie玩偶
不顯悲傷的悽慘藍天


13歲時在打掃圖書館時偶然看到中原中也詩集,受到「骨」這首詩的衝擊。那種清冽感是一種驚嚇。從那時起,再也無法滿足於學校教科書內容,並開始寫作。友川回憶:「生存這種事是痛苦且空洞的,自己能一直發現的寶貴的事只有笨拙地寫著詩。而唱歌這件事,或許完全是因為那時偶遇了中原中也的「骨」。割下自己精神的肉瘤,經常用新鮮的觀點來捕捉事物的訓練,這種重要的事是中原中也教我的。十幾年過去了,如跟以前唸過的詩來比,「看哪!看哪!這是我的骨頭――」在我看來還是生猛有力。因為它生氣勃勃地完成了生命。這也是已經三十歲的我,要猛烈地叫喊著的心情」(按:我很喜歡2009年後的友川,大病半年後的他頭髮變白,半人半鬼的模樣完全反映在歌聲與吉他裡)。

看哪 看哪 這是我的骨頭――
在一旁注視著的是我嗎 真是可笑
靈魂怎麼還滯留不去
行至骨頭所在之處
觀看遺骨


15歲時欲考取籃球名校能代工業高校(按:漫畫灌籃高手裡的山王工業的原型,曾來台打贏中華明星隊),不幸落榜。之後一年認真唸書(按:友川是很討厭練習的)。一年後考上,在名教練加藤廣志(按:曾創下IH賽七連霸,IH賽就是赤木剛憲一直碎念的全國大賽)的嚴厲指導下,廢寢忘食的練習籃球。一年後被教練拔擢為球隊經理。此時中學二年級的他在集會意氣煥發的說要奪下日本第一。彼時立志成為指導教練,在籃球世界裡生活並死去(按:友川將於兩個月後於能代工業舉行演唱會,因學生銳減廢校在即,此為最後一場)。



闔上眼皮 樹叢裡的朋友
雨裡的徐徐音節在測試我嗎
鏘啷鏘啷的風裡窸窸窣窣
他們快活靈明的大耳朵
聽著湛藍天空喇叭高唱
終究還是 不再那樣美麗了吧
老師 加藤老師

19歲時畢業,因非長男且不喜務農,獨自一人到東京。在日本橋的服裝批發店工作。因為想更正自己的秋田腔拼命練習標準語,最常練習的是「僕」這個字(友川:現在想起來實在有夠滑稽加笨蛋。幹麻如此認真呢)。四個月後出車禍,離職,回故鄉靜養。在歸鄉的那一年裡,一邊在魚市場工作一邊在加藤廣志的推薦下擔任能代一中籃球教練。那時候友川教練的指導方法是不管如何只要給你一頓揍你就會變強(友川:真是有夠笨蛋)。不過很顯然的這口音是註定跟著他一輩子。十幾年後大島渚在「Merry Christmas, Mr. Lawrence」選角時,因友川強調要改秋田腔就像要他更改血型,只能失之交臂,之後由阪本龍一飾演。到最後是在2004年三池崇史的「以藏」中圓夢。然而在該影片中,怎麼看友川都是在飾演他自己。演技沒有挑戰到,倒是影片中重新翻唱的那幾首歌非常動聽。嗯,友川也有在「3年B組金八先生」裡唱過「トドを殺すな」與神曲「犬」,再度客串「自己」。

雖然很想要錢跟女人,但是從不對那可能性付出努力。努力也是枉然,雖然真的很想要。我也經常突然地想要默默的朝目標邁進,即使艱難辛苦也要抱持著如藍天的心輕巧地克服。但是我卻不讀書也不聽廣播。太繁重的工作我也不想做。只想些令人絕望的事情。朋友是一個也沒有。
(友川かずき著「生きてるって言ってみろ」1985年)


一年後再度回到東京,落腳在練馬區的工地。那時因為煮飯的人逃走了又除了友川之外沒人想做。友川回憶那時簡直高興的要命,因為早餐可以吃到白米飯與味噌湯。雖然要比別人早點起床,不過下午之後可以休息,那時是讀最多書的時候。晚餐會準備生魚片,師傅簡直要氣死了(按:此時開始經常借住在川崎朋友的公寓裡,而後定居在川崎六疊大的房間裡,至今)。

――你一直住在川崎嗎?
是的,理由很簡單。假如搬家的話就得換電話號碼,這樣事務所就找不到我,工作不會上門。
(東北のアート情報誌_北風vol7_2011年)

21歲,結識中原中也同好福島泰樹。福島鼓勵友川替詩作曲(按:友川此時不會彈吉他),此時在宿舍聽到岡林信康的「山谷ブルース」與「チューリップのアップリケ」。於是跟朋友借了錢在當舖買了吉他,借了「吉他一週獨練速成法」,試著替自己寫的詩譜曲。根據なぎら健壱的回憶,那時在表演場地會到處跟別人借調音器的,大概只有友川。1971年,被あがた森魚帶去參加「第3回全日本(中津川)フォークジャンボリー」,同行者只有あがた森魚被唱片公司遞名片,同年發行名單曲「赤色エレジー」。之後與友川齊名的三上寬也發行了專輯「'71中津川全日本フォークジャンボリー実況 」。



1972年,「及位典司」最後一次在能代一中擔任教練,之後回東京即以「友川かずき」為藝名出道,長住川崎。保持著自己在能代工業所學,以訓練體力與速攻為主。曾有人這麼形容友川教練:「鬼。沒有感情。非常殘忍。選手胃潰瘍一名、胃炎一名、耳膜破裂一名。有的選手倒在連接體育館到校舍的道路上」。最後連友川自己也胃潰瘍入院,雖然胃痛,仍大口吃著拉麵,最後因為喝酒被發現,強制退院。在住院期間發生了「淺間山莊事件」:赤軍偷襲軍火店挾持人質,逃竄遠征事件。此次新聞直播創下無人能破高達九成的收視率。另一逸事為「天井桟敷」在老鄉青森公演,慕名而來的團員探病時表示:笑容很詭異。而寺山修司在公演前聽友川唱完一曲後表示:還不錯。之後寺山修司不見人影。

隔年最後一度上京。白天到工地工作,晚上到餐廳駐唱。之後在宇崎竜童的介紹下到東芝發行單曲:「上京の状況」與「生きてるって言ってみろ」。隔年即到德間音工發行第一張專輯「やっと一枚目」,結識頭腦警察的石塚俊明。那時在工地會一邊工作一邊唱歌(友川:我討厭音樂),晚上喝酒時想著接下來的專輯名稱:「そっと2枚目」、「すかさず3枚目」、「どうしたんだろう4枚目」。關於永遠的名曲「生きてるって言ってみろ」,那是在喝醉酒時在朋友的車上所做。



骯髒的手巾溼答答
掛在腰上無精打采
你又不是行屍走肉
在自己的家門前停下腳步
下定決心推開家門
你眼前的又不是地獄
有種說說看你還活著

1976年,時年26歲。友川開始他一生中不變的放蕩生活:留連於新宿街道,大量飲酒,喧嘩吵鬧(友川:我不喜歡洗牌的聲音,所以討厭打麻將)。第二張專輯「肉声」收錄了對去世的祖父的思念的狂叫曲「おじっちゃ」(按:胖妞成海璃子曾選為私心前十)。第三張專輯「千羽鶴を口に咬えた日々」開始與有名音樂人J・A・シーザー合作,為友川早期的音樂奠下一個典範與高度,內含神曲「死にぞこないの唄」。1978年,第四張專輯「俺の裡で鳴り止まない詩」為友川帶來空前的絕佳評價。全張十首均以中原中也的詩入詞,這種事是前有古人,但那個完美的嗓音與J・A・シーザー打造的詭異氛圍產出了一張絕後的流行音樂唱片。之後的作品,友川的淒美靈魂與呼喊的絕叫將慢慢獨佔整個專輯。友川表示:「因為我唱著中也的歌,觀眾聚集了很多女大學生。而中也的胞弟在看表演時在我面前留下了眼淚,這給了我很大的能量」。而嗜飲的友川開始從早喝到晚,因為喝太多而吐血。表演前也會在後台一直喝,曾在表演時喝了兩公升日本酒從舞台上跌下去。



稻穗2號 跑快一點
太慢了太慢了 阿阿
我重要的 阿公
快死了 快死了
阿阿
阿公典司我!
現在要到家了!
阿公典司我!
現在要到家了!
保住一口氣!
保住一口氣!


回到一年前,1977年。友川為歌姬ちあきなおみ寫了「夜へ急ぐ人」與「海のそばで殺された夢」等歌,其中「夜へ急ぐ人」曾打進過第28回NHK紅白歌合戰。這首摧情辣曲不僅被志村健拿來惡搞也曾被當年白組主持人山川静夫評為:「唉呦,這是多麼讓人不舒服的歌啊」。友川說曾在新宿的舞台上看ちあきなおみ唱著Janis Joplin的歌,那淒厲的嗓音讓他起雞皮疙瘩。友川非常喜歡Janis Joplin,說她的歌聲就像是會帶來種種恥辱激烈的性器官,這時她像地獄來的鬼。友川表示:「此時內心會凝結出比雪還白的猶如白砂糖的固體,那是淒厲的喊叫,你只能跟它四處對峙。倦怠的當下在頭上突然開展出巨大的花朵,確實的把房間覆蓋住。這是剛剛白色的物體成為種子開出的花朵,放聲大哭的花朵」。



有匆忙走向夜晚的人
也有人拍著肩膀勸阻
有沉默經過的人
也有微笑觀望著的人
炙陽照射的正午是恐怖的
現出正體的夜晚也是恐怖的
像要燃燒的戀情 脆弱的戀情
在我的心的黑暗深處
過來吧 過來吧
在叫著過來吧的 你是誰

我想1981年的「海静か、魂は病み」與1986年的「無残の美」與1993年的「花々の過失」與1995年的「渋谷アピアドキュメント」這幾張為友川的巔峰創作時期作品,甚至我覺得是友川最「認真」寫歌錄音的時期(按:聽友川的現場會發現他對新歌放最多感情,也最認真投入)。廣義的說,這幾張含括「友川學」的主要中心思想。這時他開始沉迷競輪比賽。要請友川捨棄一項才能的話一定是歌唱,最不能捨棄的當成命根子的是賭競輪。1990年時友川結識還是大學生的大関直樹(後來成為友川的經紀人)。大関回憶初識友川時兩人去打柏青哥,因為一直贏錢,所以他翹了一週的課。所以如果叫友川自己選或許會是1994年的「まぼろしと遊ぶ」與1999年的「空のさかな」吧。前者「夢幻般的遊玩」是友川的教育方針,後者「天空中的魚」是一張絕無僅有的競輪專輯(按:友川歌裡最常讚賞的競輪選手是滝澤正光)。

回到1984年,及位覚於大阪跳軌自殺身亡。對於在東京同住卻突然消失四年的覚,再次的見面竟是頭部以下碎裂,雙眼眼球迸飛,僅能從口鼻辨識的覚。自殺原因不明。在及位覚遺稿詩集的最後的最後,友川:「覚,睡吧。真的太好了,靈魂飛出的你擊敗了人這種東西,在那邊能讓你看見神了。我還是一樣沒改變,依舊亂捏著驕傲自滿的鼻尖,還要再繼續往下走呢。人生也好詩也好,是一個人活在世間一遭而存在的東西。雖然很多人也經常會以其他形式表現,但有時會成功有時會失敗。假如獲得的過程是沒有經過掙扎戰鬥的話,那些都是沒有意義的。喂,覚。就在你的肉體受寒結凍牙關緊咬溢散出死亡氣息的同時,你所寫的詩篇正確實的在我的手中呢。安心吧。安心的睡吧」。1986年的「無残の美」,冒頭曲「彼が居た」是弔念剛逝世的親友「たこ八郎」,第三首「無残の美」則是及位覚,這首詩歌的頓挫真是無懈可擊。友川:「對於文字我完全沒有才能。只是把文字當成子彈一樣,當數量夠多時就會貫通出內容」。來吧,讓我們沐浴在友川老師的猶如槍林彈雨中的巨大悲痛下吧。



寫什麼詩都沒用
人就是會常感孤寂
越是想從那裏掙脫
越會被更深層的緊縛

擁有一切色彩的悲哀
展現各式各樣的命運
當生命已燒焦至盡頭
再如何至親也是多數人之一

這場死實在悽慘
我覺得也很美麗
啊覺 這刺向天空的紅蓮
彷彿悲傷的肉 綻開著

說難聽一點,友川是一個奇蹟。討厭這個虛假多禮充滿核彈的笨蛋社會,對身旁的人卻是充滿著愛,即使只有一面之緣,他相信同樣靈魂的碰撞會在未來的某一天再度發生。友川並不是喜歡悲傷也不喜歡輸,只是捨不得那些面目全非,因為他就失去活下去的意義,他是為別人的愛生存著。我認為每一個人都會有著這一份悲天憫人,而被喚醒的人無一不為友川傾倒,他太有美感。最後以「盲腸の里」(按:節錄)與2003年「中原中也作品集」做結。前者為及位覚的詩,我想友川也會喜歡這個結尾。後者為1978年「俺の裡で鳴り止まない詩」的整張翻唱,全張以一把木吉他單幹,這是友川內心真正停不下來的聲音。

我 在追趕著我
發出呻吟朝向模糊的如盲腸般的家
精液湧了出來
我 在追趕著我



參考資料:
1、偽装思索者の日記
2、Kazuki Tomokawa官網
3、友川カズキ歌詞集 1974-2010年
4、東北のアート情報誌_北風vol7 2011年
5、及位覚 遺稿詩集